「おじいちゃん、すげ~。」

おじいちゃん自作の小屋、愛車の軽トラ、マキにする廃材などが見えます。   

野菜を収穫するおじいちゃん、とても89歳には見えません。   

植えたばかりのねぎ。

以前に、当院には私のブログを読んだのがきっかけで、「白山オステオパシー」に 来るようになった、という方々がいると書きましたが、その中の一人に埼玉方面から いらっしゃる方がいます。 その方から野菜作りをしている、あるおじいちゃんの話しを時々聞かされていたので 一度そこまで行ってみたいと言ったところ、セッティングをしてくれて、4月2日に その方の案内で、おじいちゃんを訪ねてみました。 当初は4月9日に行く予定でしたが、おじいちゃんから「いま桜が満開だから、来る なら今週がいいよ。」と電話があり、急きょ予定を1週間早めることに。 埼玉市の北部には、以前は水田地帯で現在は貸農園として利用されている、見沼と いう地域があります(通称:見沼たんぼ)。 おじいちゃんは、ここに約600坪の土地を借りて、農薬も化学肥料も一切使用せずに 野菜を作り、一部は販売もしています。 しかも、その一画に自ら小屋を建てて、埼玉市内に住む場所があるにもかかわわず、 ほぼ一年中、ここに住んでいるそうです。 このおじいちゃん、現在89歳で、今年の7月には満90歳!

馬糞堆肥を熟成させているところ、手を入れると、かなりの発酵熱でした。

お土産にもらった野菜。

現地に着いたのが、ちょうどお昼の少し前だったので、お土産のビールを一緒に飲み ながら、いろいろと話を聞かせてもらいました。 おじいちゃんが使用する肥料は、主に浦和の競馬場トレーニングセンターから出る 馬糞。 以前は、自分で軽トラを運転して取りに行っていたそうですが、他の貸農園利用者で 自分も使いたいという人が増えて、結局ある程度の量がまとまったので、現在は トラックで運んできてくれるようになったということです。 本職は大工さんだそうですが、仕事をリタイアしてから趣味で野菜作りを始めた ので、今でも勉強のために、EM菌の講習会に出たりしているそうです。 このおじいちゃんは軍隊の経験もあり、終戦のときは小田原で砲台を作っている 最中だったそうです。 おじいちゃん曰く、「アメリカが飛行機で爆弾を落としていくのに、こっちは 竹ヤリ持って訓練してるんだから、漫画みたいなもんだったな。」、と笑って いました。 ちなみに、私がパプア・ニューギニアに住んでいた時にお世話になった、ニュー・ ウェワック・ホテルのオーナーである川畑さんも現在89歳で、終戦のときは 広島で人間魚雷「回天」の操縦訓練をしていて、終戦で命拾いしたと言って いました。 こういう話しを聞くと戦争末期の軍上層部の人達の思考回路が、とても正常 だったとは思えません。 持っていったつまみを食べながら話しをして、私がビールの350ml缶を 2本飲む間に、おじいちゃんは3本! また、帰る際には、お土産にとブロッコリー、にんじん、レタスを収穫して 持たせてくれました。 家に帰ってから茹でて食べたブロッコリーは、おいしかったですよ!

芝川の堤防に咲く、からし菜の花。

新宿橋近くの桜。

見沼代用水東縁の桜並木。

おじいちゃんのところを辞去してから、見沼代用水東縁の桜並木を見て歩きました。 ちょうど満開で、都心と違い花見に来ている人も少なくて、ここは穴場かもしれない ですね。
おじいちゃんの畑や桜並木で、久しぶりにヒバリ、ウグイスなどの鳴き声を 聞いて、なごみました。 やはり、人間は自然と共に生きるのが、自然なのかな。                                      白山オステオパシー院長