「スリランカ訪問記(8)選挙・POPE」(最終回)

私がスリランカに滞在中、 大きな出来事が二つありましたのでご紹介。 一つは5年に一度行われるスリランカ大統領選挙です。 ちょうどスリランカに着いた日が選挙当日。 スリランカでは、国民投票によって直接大統領が選ばれます。 自国の総理大臣を、直接 選べない日本人からすると羨ましい限りです。 右の写真は、今回新たに大統領となったマイトリー パーラ・シリセーナ氏のポスター。

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こちらは、今回の選挙でシリセーナ氏に敗れた 前大統領のポスター。 おそらくシリセーナ氏の支持派に傷つけられたのか顔の部分などの傷みが激しいです。 圧倒的な資金力を使って、 至るところにポスターが貼られていました。

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スリランカの選挙では、各候補毎にシンボルマーク が決まっており、有権者はそのマークの部分に×印を書きます。写真は道路に書かれていた、前大統領のマークである木の葉。 今は皆、字が読めますが識字率が低かったころの名残りかもしれません。

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こちらは、スリランカ国内のある州の投票結果。 全部で10人の立候補者がいましたが、事実上はこの二人の一騎打ち。 州によっては、前大統領の得票率が高かったところもありましたが、概ね写真のように新大統領の得票率が僅かに上回っていました。

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新大統領の就任式の映像。 現地の人達の話によると彼は誠実な人柄だそうで、 皆に非常に好感を持たれていました。 その分、新大統領に対する期待も大きく、新たな大統領の下、スリランカは必ず今よりも良くなると多くの人達が言っていました。

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私がスリランカに滞在中の もう一つの大きな出来事は第266代ローマ法王(POPE) フランシスコがスリランカを訪れたことです。直接、 見に行くことは叶いませんでしたが、テレビでその姿を見ることが出来ました。

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フランシスコ法王とスリランカの新大統領、シリ セーナ氏とのツーショット。 大統領は、かなり緊張の面持ちです。

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POPEはこのような車に乗ってコロンボ市内をパレードしました。 また、コロンボ市内での宿泊は政府が用意した高級ホテルではなく格安なホテルに泊まり、夕食は自分で作って食べていたそうです。

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上の写真を更に引いて撮った映像がこれ。 この日はスリランカ全土からおよそ150万人もの人達が POPEに会うためにコロンボ にやってきたそうです。 スリランカキリスト教徒の数が約230万人ほどですから、凄い数字です。

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POPEのスリランカ訪問を伝える新聞記事。 当然のことながら一面 トップでした。 フランシスコ法王は3日間スリランカに滞在した後、 フィリピンへと向けて 飛び立ちました。

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では最後にスリランカと日本をつなぐ、ある逸話を紹介して今回のスリランカ訪問シリーズを終了させたいと思います。
スリランカは、実は日本にとっては恩人と言っても良いほどの国なのです。
それは、第二次世界大戦で日本と連合国との戦争終結を決定するために開かれた、サンフランシスコ講和会議での出来事です。
会議では被害を受けた国々から日本は激しい非難を浴び、敗戦国である日本は多くの国々から莫大な賠償を求められ、更には日本領土の分割案まで提出されていました。
日本にとって大変厳しい状況の中、セイロン(今のスリランカ)代表として演壇に立った若い大臣(後の初代大統領)ジャヤワルダナ氏はブッダの教えを用いて、こう演説します。    
 
 
憎しみは憎しみでは消えず、    
愛する事によってなくなる     
我々はもう憎しみを忘れようではないか    
そしてアジアの将来にとって、    
独立した自由な日本が必要である    
我が国は、賠償請求も一切しない                     
            (一部のみ抜粋)
 
と言うもので、多くの人々がこの演説に感銘を受け、会議は日本の戦後復興を援助する方向へと進みました。
ちなみにスリランカ(当時のセイロン)もコロンボのアンゴダとトリンコマリーが日本軍に空爆され、アンゴダの精神病院の建物や、トリンコマリーの石油設備などが被害を受けています。
もしも彼が会議で説得してくれなかったら、日本は分断されていた可能性もあったのです。
私達も「礼と返礼の法則」を忘れずに、何らかの形でスリランカの人達にお返ししたいですね。