「北欧訪問記(12)」

アイスランド周辺地図

ではまず、最後の訪問先アイスランドの周辺地図、位置、国旗、国章です。
アイスランドの概要 アイスランド共和国アイスランドきょうわこく)  人口 33万人  通貨 アイスランドクローナ(ISK)  首都 レイキャビク  面積 10万3000平方キロメートル(北海道と四国を合わせた程度)  公用語 アイスランド語 グリーンランドの南東方、ブリテン諸島デンマーク自治領であるフェロー諸島の 北西に位置する島国。 アイスランドへの最初の入植は874年、ヴァイキングのインゴルフル・アルトナソン と妻のハットルヴェイグと言われている。 その後9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよび アイルランドケルト人がフェロー諸島を経由して移住した。 アイスランドへと移民した人々は王による統治ではなく、民主的な合議による自治を 目指し930年に世界最古の民主議会「アルシング」を発足させ、アイスランド国民は 現在もこれを国家の誇りとしている。 アルシングによる統治が続いた約300年の間、定住した人々は木炭を作るために 森林を広範囲に伐採し、国土の1/4が樺の森林であった森林面積は19世紀まで 続いた伐採により1%以下に減少した。 入植者は牛や豚などの家畜をアイスランドに持ち込んだが、寒冷地ゆえに羊毛を 目的とする羊の飼育が盛んになり、羊は植物であれば若木を含めて食べてしまう ため、国土の2/3を覆っていた植生が1/2に減少し、アイスランドは現在の ように表土の露出した荒涼たる風景となってしまった。 アメリカ大陸を初めて訪れたヨーロッパ人はアイスランド人のレイフ・エリクソンで、 これはコロンブスによる「発見」よりおよそ500年も前のことであった。 この事実は長く懐疑的に受け取られていたが、カナダのニューファンドランド島にある ランス・オ・メドーの発掘によってその業績が証明された。 首都レイキャヴィークのハットルグリムス教会にはアルシング発足1000年を記念し、 1930年にアメリカ合衆国から寄贈されたレイフ・エリクソンの像がある。 13世紀以降はノルウェー及びデンマーク支配下に置かれるが、1944年に 完全独立。 20世紀初頭、アイスランドは経済の6割以上を第1次産業が占める漁業・農業国で あったが水産加工業を手始めに徐々に工業(第2次産業)・サービス業(第3次産業) へと軸足を移し、さらに金融立国へと変わっていく。 しかし、2008年のリーマンショックを発端とする金融危機に大打撃を受け、当時の 首相ゲイル・ハルデが国家破綻を宣言する異常事態となったが、アイスランドクローナ の下落により輸出産業が息を吹き返し、さらに通貨の下落が功を奏し海外からの 旅行者も急増。 現在では観光ブームで国に活気が戻っているが、それに伴いホテルの宿泊費 など各種物価も再び上昇してきている。 アイスランド本島には多くの温泉が存在するが、一般家庭の電力やシャワーを温める エネルギーを全て地熱発電でまかなったり、温泉水を引き込んでそのままお湯として 利用できる家や、温泉水を利用した野菜の栽培施設もある。 また国内の電力供給は、その約73.8%を水力、約26.2%を地熱から得ている。 (ちなみに日本の地熱資源賦存量は2,347万kWほど、国立公園外の資源だけでも 425万kWあるにも関わらず、設備容量53万kW程度しか開発されていない。 これはアイスランドにほぼ匹敵するが、電力全体に占める割合はわずか0.2%に 過ぎない。) 1990年代後半からは安価な電力を使いアルミニウムの精錬(融解塩電解を行う ため大量の電力を必要とする)事業も活発になったが、環境意識の高いアイスランド 国民のあいだでは、大量の廃液が発生するアルミニウム精錬施設には依然根強い 反対がある。 アイスランドノルウェー他の移民からなる国のため、アイスランド語も初期は ノルウェー語などに近かったが、島国だったこともあり他国語の影響を受けにくく、 現在のアイスランド語は800年前からほとんど変わっていないと言われている。 アイスランド人はこの点も誇りにしており、外来語はその都度会議を開き新たな アイスランド語に変換する。 例えば「コンピューター」は、アイスランド語では「トルヴァ(tolva)」と呼ぶが、 これを訳すと「数字の魔術師」という意味となる。 アイスランド語の伝統を守るがゆえに、現在も残る名詞や人名の複雑な活用 など、新たにアイスランド語を学ぶ人々にとっては非常に難解な言語となっている。 しかしながら実際のところ他の北欧諸国同様に、一定の年齢以下のアイスランド人は ほぼ完璧に英語を話すことが出来るため、外国人がアイスランド語を習得しなくとも 実際の生活上は不自由しない、ということも事実である。 またアイスランドは日本人にも馴染みの深い、世界的なシンガーを輩出している。 ビョークシガー・ロスの他、最近ではアウスゲイルなども人気となっている。

アイスランドの上空に入ったところ。人工的な物は、一切見えない雪と氷の世界。

しばらくすると、道路らしきものが見えてきます。

私が2泊した「ホテル・ヒルダ」

前回からのつづき。 オスロガーデモエン国際空港を発ったSAS SK4787便は2時間半ほどすると、 アイスランド上空に入ってきました。 陸地の上を飛行していても、しばらくの間は人工的なものが全く存在しない 雪と氷の世界です。 さらに進むと道路らしき直線が見えてきて、雪面にはかすかに区画が見えるので、 牧場や畑などではないかと思われます。 徐々に建物も見え始め、無事にレイキャビク・ケプラヴィーク国際空港に着陸 します。 空港から外に出るとレイキャビク市内行きのバス乗り場があり、停車中のバスに 乗り込みます。 このバスは事前にネットで予約しておいたのですが、チケットはターミナル行きと ホテルの前まで行ってくれる2種類のチケットがあり、私はホテル前までのチケット を買っていました。 バスに乗り込む際に運転手さんにホテル名を聞かれたので、私はこのバスが 直接ホテルまで送ってくれると思っていたのですが・・・。 市内に入るとバスターミナルのようなところで降ろされ、そこから更に何台かの ワゴン車に分乗し、各方面へと向かうことに。 しかしこのワゴン車、行き先が決まっていないため、乗るには早いもの勝ち なのです。 とにかく声が大きくて押しの強い人が先に乗り込んでいき、私のようなシャイな 人間は当然、なかなか乗ることができません。 結局、最後に残った1台に乗ることになりましたが、先に行った車がどれも 満席なのに対して、私が乗った車は私の他に若い白人女性の二人組のみ。 お陰でゆったりとホテルに向かうことができましたが、こういういうのを 「残りものには福がある」というのでしょうか。 ところで乗車する際にホテル名を聞いたのは、いったい何の意味があったのか 未だにわかりません。 ホテルに到着しチェックインを済ませたあと、白山オステオパシーに以前来ていた 患者さんで、現在はアイスランド大学に留学中のサオリさんに連絡をとります。 私が最初の2日間泊まった「ホテル・ヒルダ」は1泊3万円、4万円が当たり前で、 現在観光バブルと言っても良いレイキャビクの中では、比較的リーズナブルな料金 だったので決めたのですが、偶然にもサオリさんのアパートから徒歩5分ほどの 場所にありました。 彼女にホテルまで迎えに来てもらうまでのあいだに付近を散歩しますが、周囲には 微かに硫黄の匂いが漂っています。 あとでサオリさんに聞いたところ、レイキャビクの水道から出るお湯は温泉水で 水は天然水を塩素殺菌など一切せずに、そのまま使用しているそうです。 また暖房も全て温泉水を利用し、電気は地熱、水力、風力などほぼ自然エネルギー だけで発電しているため電気代も安く、こちらの人は節電のために、こまめに スイッチを切るということを、ほとんどしないそうです。 しばらくしてサオリさんが迎えに来てくれ、一緒に彼女の住むアパートへと 向かい、まずは肘の治療を始めます。 実は彼女、昨年の12月に肘を骨折してしまい、現在リハビリ中なのです。 私の北欧旅行が決まったのはその前だったので、運が良いのか悪いのか? という感じですが・・・。 サオリさんの肘の治療をしていると、同じくアイスランド大学に通っている モモさんが、自分で作った白菜の漬物を持って来てくれました。 私がオスロから持ってきたセブンイレブンのおつまみセットも出して、治療を いったん休み、3人でビールで乾杯。 モモさんはガイドの仕事もしているため、今後のスケジュールについていろいろと アドバイスをもらいます。 私はアイスランドをレンタカーで回ろうかと思い、旅行前に国際免許をとって おいたのですが、モモさんには「今までに何人もの日本人がレンタカーで大きな 事故を起こしているので、あまりおすすめできない。」と言われてしまいました。 そこで計画変更して、各種のツアーに参加することに。 モモさんが帰ったあと更に少し肘の治療をして、アパートの近くにあるお店で またビールを飲みながら、夕食を食べます。 店を出た時には、かなり強く雪が降っていました。 ここでサオリさんと別れ、私はホテルへと向かいます。

アイスランド仕様のパソコン。キーボードには見慣れない文字が。

電気屋さんで見つけた怪しい動きのマッサージ器。

2月19日(金) 私の泊まっているホテルから港までは歩いて5分ほどなので、朝食を食べたあと 少し海沿いを散歩してみます。 すると港に面した建物の2階に観光案内所があったので入ってみると、中にいた おばちゃんが近くのおすすめスポットを、いろいろと説明してくれました。 一通り説明を聞いたあと、私が「近くにコーヒーが飲めるカフェはないですか?」 と聞くと、「この建物の1階にあるカフェがおすすめよ。」と言われ、1階にある 「カフェ・ハイチ」に入ります。 カフェ・ハイチでコーヒーを飲んでいるとサオリさんから電話があり、一緒に電気屋 さんへと行くことに。 サオリさん、先日からパソコンの調子が悪くなり見てもらったところ、修理すると 買うのと同じくらいの金額がかかると言われてしまったそうです。 向かった先は電気屋さんとホームセンターが一緒になったようなお店。 金額を見ると電気製品は全体にお高めです。 アイスランドは電気製品や自動車などの関税が非常に高く、お店にあった アップルのノートパソコンは日本円にすると25万円ほどでしたが、日本なら 10万円くらい安く買えるそうです。 もう少し早くパソコンの調子が悪くなっていたら、私が日本から担いで持って 行ったのですけどね。 その後、港の近くにあるサオリさんおすすめのカフェ「Cafe RETRO」に行き、 昼食を食べます。 このお店、おじさんが一人で切り盛りしているのですが、手書きのメニュー表も 味があって、なかなか良い雰囲気です。 私はシーフードスープ1990ISK、サオリさんはシュリンプブレッド1990ISK を頼みます。 スープも美味しかったのですが、一緒についてきた蒸し焼きのパンがなかなかの 美味でした。 このパン、温泉熱を利用した窯で作るそうですが、一般の住宅でもこの温泉熱を 利用した釜が設置されているところが多いそうです。 「Cafe RETRO」を出たあとはレイキャビクの中心部まで歩いていき、アイスランド 大学で学びながらガイドの仕事をしているショウヘイ君と落ち合い、リハビリ に行くサオリさんとは、ここで別れます。 つづく。

「Cafe RETRO」のメニュー表。

シーフードスープとシュリンプブレッド。

「Cafe RETRO」の窓から見た景色。目の前に港があり、船が停泊しています。