「回峰行のようなもの」(1/3)(動画)
今回は「回峰行のようなもの」をおこなったときの写真です。
堂塔の他にも、目に付いたものは出来る限り写真に残すように心掛けました。
まずは比叡山の全体像。
前回の記事でも紹介した千日回峰行のルート
宿泊していた延暦寺会館(2枚目の図のほぼ中央)をAM4:54に出発。
ちなみに東塔地域にある総本堂根本中堂(こんぽんちゅうどう)の標高は681mなので延暦寺会館の標高は約700m程度だと思います。
・東塔地域
東塔地域マップ
東塔地域航空写真
1, 延暦寺会館前のしょうぐうさんと厄除不動尊に挨拶してスタート
AM4:54
AM4:54 厄除不動尊
急な石段を登ると文殊楼。
比叡山延暦寺全体の総門の役割があるため、正式な参拝はまず文殊楼をくぐることからはじまる。
AM4:56
3,根本中堂
文殊楼を通り反対側の石段を下ると総本堂の根本中堂がある。
現在60年ぶりの大改修中。
現在の建物は信長の比叡山焼き討ち後、寛永19年(1642)に3代将軍徳川家光により建てられた。
柱は76本あり、諸国の大名が寄進したことから「大名柱」と呼ばれる。
中陣の天井は「百花の図」といわれ、二百に及ぶ草花が極彩色で描かれている。これは当時の各藩を代表する草花を各々の藩の絵師が描いた物。
延暦7年(788)から消えることなく輝き続けている「不滅の法灯」は、信長の比叡山 焼き討ちの際に消えたが、山形県山形市立石寺に分灯されて灯し続けられていたものが、再度延暦寺に再分灯で戻された。
AM4:57
前日に撮った内部の写真。
4,萬拝堂
平成8年建立の新堂。
比叡山の回峰行者が、日本全国の神仏を遙拝することから名付けられた。
AM5:02
5,大黒堂
最澄が籠山修行中に大黒天が現れ「毎日1000人の修行僧が暮らし向きに困らないように財政を守ります。」と告げて姿を消した。
それに感激した最澄が大黒天の像を刻んで安置したのがはじまり。
祀られているのは大黒天、毘沙門天、弁財天の顔を持つ「三面大黒天」。
別名出世大黒天。
AM5:02
6,大講堂前の鐘楼
別名「開運の鐘」。
むかしは比叡山に一大事があった時にこの鐘が撞かれた。
こちらは1回50円で鐘を撞くことができます。
AM5:08
7,大講堂
学問修業の場比叡山の道場。
僧侶の試験ともいうべき「論義法要」がおこなわれる。
昭和31年の火災で焼失。
現在の建物は坂本にあった讃仏堂(東照宮の本地堂)を移築。
AM5:08
8,大講堂裏の瑞雲院(この隣には前唐院が繋がっている)
瑞雲院は法華三昧道場、前唐院は第三世天台座主慈覚大師円仁の住坊。
AM5:11
9,国宝殿
仏像、仏画、書跡などが展示されている。
この名称は最澄の『山家学生式』の「一隅を照らす。これ則ち国宝なり。」から付けられた。
AM5:13
10,栄西禅師修行の地
AM5:18
11,戒壇院
正式な僧侶になるための受戒・伝戒を授ける場所。
大乗戒の一つ「円頓戒(えんどんかい)」受戒のとき以外、扉が開くことはない。
AM5:26
12,阿弥陀堂
昭和12年、比叡山開創1150年を記念して建立された。
AM5:30
13,東塔(この裏手に灌頂堂)
昭和55年比叡山開創1200年を記念して建立された。
灌頂(かんじょう)堂は伝法灌頂、結縁灌頂などをおこなう場所。
AM5:30
14,弁慶水
AM5:36
弁慶水は、西塔に住んでいたとされる武蔵坊弁慶が千日の間「千手堂(山王院)」に参籠した際に、仏に供える水、閼伽水(あかみず)を汲みに通ったと伝えられている。
15,為法界萬霊の石仏
AM5:36
弁慶水の隣には為法界萬霊の石仏。
法界とは真理の世界、全宇宙のこと、万霊とはこの世の中の一切の生き物のこと。
つまりこの世の全ての生きとし生けるものを供養するための石仏。
16,山王院
AM5:39
山王院に掛けられていたわらじ
17,山王社(山王院下にある社)
AM5:39
18,山王院横の参道を下り、西塔地域へと至る。
AM5:42
ここから西塔地域に入ります。
・西塔地域
西塔地域マップ
西塔地域航空写真
御廟は十二年籠山行をおこなう侍真僧により守られている。
前日の夕方にも浄土院を訪れましたが、そのときには読誦の声が中から聞こえてきました。
AM5:46
こちらは十二年籠山行の映像
御廟横にある、最澄自作の阿弥陀如来(秘仏)が祀られている阿弥陀堂は現在改修中。
AM5:48
御廟で焚かれていた香
21,浄土院横の湧き水
AM5:52
22,浄土院から西塔地域の本堂である釈迦堂方面へと向かう参道
AM5:57
23,五重照隅塔
「個々人が思いやりの心を持って、一隅を照らす人になる」との願いが込められている。
これは伝教大師最澄が、比叡山に学ぶ僧に対する教育理念と修学規則を定めた「山家学生式(さんけがくしょうしき)」の教えからきている。
国宝とは何物ぞ
道心なり
宝とは道心なり
道心ある人を
名づけて国宝と為す
故に古人言わく
径寸十枚、是れ国宝に非ず
一隅を照らす
此れ則ち国宝なりと
国の宝とは何か。
宝とは、道を修めようとする心である。
この道心をもっている人こそ、
社会にとって、なくてはならない国の宝である。
だから中国の昔の人は言った。
「直径一寸(3センチ)の宝石十個、それが宝ではない。
社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。
その人こそが、なくてはならない国宝の人である」
と。
天台宗のキャラクター「しょうぐうさん」も、ここから名付けられました。
AM5:58
24,箕淵弁財天
延暦寺三大弁財天の一つ。
ちなみに残りの二つは、東塔の無動寺弁財天、横川の箸塚弁財天。
AM5:59
25,親鸞聖人ご修行の地
AM6:01
26,真盛上人修学之地
AM6:01
27,椿堂
堂名の由来は聖徳太子が入山した際、杖にしていた椿の枝をさして置かれたところ、その椿が芽を出して大きく育ったという伝承から。
AM6:04
28,にない堂(向かって左が常行堂、右が法華堂)
武蔵坊弁慶が常行堂と法華堂をつなぐ渡り廊下を天秤棒(にない棒)にして担いだという伝説から、にない堂という名がついた。
AM6:09
にない堂
不眠不休で「なむあみだぶつ」を唱えながら阿弥陀如来の回りを歩き続ける常行三昧(念仏行)がおこなわれる。
法華堂
一日2回の食事、用便と経行以外は結跏正座し、心を集中して黙想に明け暮れる法華三昧(止観行)がおこなわれる。
武蔵坊弁慶が、にない棒にして両堂を担いだと言われる渡り廊下
29,釈迦堂へとつづく参道
参道途中の左に恵亮堂、右に西塔政所
AM6:13
30,西塔政所(延暦寺学問所止観道場)
AM6:13
31,恵亮堂
恵亮和尚(801~860)を本尊として祀るお堂。
恵亮和尚は当時の比叡山で最も修力霊験に優れた僧で、西塔の興隆にも尽力した。
AM6:14
32,天台宗真盛派開祖の円戒国師(真盛上人)寿塔(寿塔とは生前墓のこと)と石仏
AM6:14
「樹之雫しきりに落つる暁闇の比叡をこめて啼くほととぎす」
AM 6:16
34,釈迦牟尼佛(おしゃかさま)、参道を下って左手。
AM6:16
35,仏足石(おしゃかさま入滅の際の足形)、釈迦牟尼佛の隣り
AM6:17
36,釈迦堂
西塔の本堂にして山内最古の建物。現在の釈迦堂は織田信長による比叡山焼き討ち(1571)後の文禄4年(1596)に貞和3年(1347)に建てられた園城寺(三井寺)の弥勒堂(金堂)を豊臣秀吉が移築し、手を加えたもの。
AM6:18
37,叡山学寮
釈迦堂の右手にある道を下っていく。
本覚院と呼ばれていた時代に若山牧水が泊まった場所。その後修行道場として使用されたが、現在は使用されず荒れている。
AM6:22
38,叡山学寮横の社
AM6:22
39,釈迦堂右手の涎掛け石仏。
AM6:26
40,平和地蔵菩薩
平成二十七年八月、第五十回「天台青少年の集い」を記念して建立された。
右手の上げた三本の指は「三つの誓い」を表している。
AM6:29
41,鐘楼
釈迦堂左手を上がったところ。
AM6:30
42,釈迦堂左手の宝篋印塔(ほうきょいんとう)
AM6:44
43,十一面観音菩薩
釈迦堂左手奥を上がったところ。
AM6:46
44,十一面観音菩薩右手の上り坂
AM6:47
45,十一面観音横の上り坂を上がったところ。
左斜め上へ行くと相輪橖、まっすぐに下ると弁才天、右横に行くと台風に被災して取り壊された居士林跡地、右手前に行くと弥勒石仏。
AM6:48
46,相輪橖
相輪橖の中には法華経、大日経など23部、58巻が納められている。
銘板から最初の建立が弘仁十一年(820)となっている。
相輪橖は本来は五重塔などの上で屋根を押さえる役割をするもの(西岡常一「木に学べ」より)だが、飛鳥時代から平安時代になりその役割が忘れられて装飾の意味合いが強くなり、このよう橖が建造されたのではないだろうか?
AM6:51
47,弥勒石仏
比叡山最古の石仏と言われる。
顔の半分が欠けているのは、信長の焼き討ちによる損傷と考えられている。
AM6:54
48,弁才天
AM6:56
49,弁才天横の道を上ると、奥比叡ドライブウェイに出る。
真っ直ぐに奥比叡ドライブウェイを渡ると、玉体杉のある峯道へと続く。
今回は瑠璃堂へと向かうため、ドライブウェイを左へ行き坂を下る。
AM6:59
50,奥比叡ドライブウェイを下ると右手に瑠璃堂へと続く道が見えてくる。
瑠璃堂の案内看板は無いため、「正教坊」と書かれた郵便受け?を目印にする。
後で調べたところ、瑠璃堂の奥にあるのが正教坊だそうです。
確かに人が住んでいる気配がありました。
AM7:04
51,瑠璃堂
西塔地域の外れにあるため、信長の焼き討ちを免れた現存唯一の建物。
以前は黒谷道(くろだにみち)と呼ばれる、瑠璃堂から黒谷青龍寺へと抜ける道が通っていましたが、現在は崖崩れのため閉鎖されているようです。
AM7:14
52,弁才天横を上がり、奥比叡ドライブウェイに突き当たった地点(49)に戻る。
左手に京都一周トレイルの案内板がある。
AM7:30
ここからが「峰道」
峯道の倒木。
AM7:34
53,峰道沿いには多くの石仏が並んでいる。
AM7:36
54,峯道途中から黒谷青龍寺へと向かう。
黒谷青龍寺は回峰行のルートには入っていない。
AM7:45
55,黒谷青龍寺への道沿い。
AM7:55
57,真盛上人供養塔。
天台宗真盛派開祖の真盛上人も黒谷青龍寺において修行し、念仏を日に6万遍唱えた。
AM7:56
AM7:58
この急な坂を下ると黒谷青龍寺
56,黒谷青龍寺
元山大師が開いた寺。
浄土宗の宗祖・法然が18歳から43歳まで25年にわたり修行した地。
AM8:01
青龍寺横の杉の大木と社
57,今度は急坂を上ります。
AM8:03
58,伝教大師尊像
峯道の青龍寺の案内板がある場所まで戻り、さらにその先の奥比叡ドライブウェイを渡ると峰道レストランがあります。こちらにはレストラン、売店、駐車場、バス停、トイレなどがあり、駐車場横に伝教大師尊像が建っている。
AM8:27
59,峰道レストラン展望台から見た琵琶湖。
こちらで持参の朝食と休憩をとります。
参考までに峰道レストランの営業時間は、9:00〜17:00(ラストオーダー16:30)
AM8:28
60,再び、峰道を横川方面へと歩きます。
AM9:10
61,玉体杉
AM9:14
回峰行者が行の途中で、唯一腰を下ろすことが出来る場所。
行者はこの蓮台石に座り、京都御所に向け玉体加持をおこなう。
玉体杉前から見た京都市街
62,横川中堂まで1.6km地点まで来ました。
ここを右に行くと横川地域。
AM9:21
63,奥比叡ドライブウェイ下の連絡道。
AM9:22
奥比叡ドライブウェイ下の連絡道を通り、さらに20分ほど山道を歩くと、横川地域に到着します。
今回はここまでにして、次回は横川地域と坂本地域の写真です。
AM4:54に延暦寺会館をスタートして、ここまで約4時間半。