「オステオパシーの哲学」

私は、ジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシー(JCO)に在学中、今後 オステオパスを名乗るならば、オステオパシー創始者A・T・スティルの 著書を読んでおくべきだと考えました。 当時は彼の著書を翻訳した日本語版が無かったため、自身の拙い英語力と スティルの独特の言い回しに苦労しながら、「Philosophy of Osteopathy」、 「The Philosophy and Mechanical Principle of Osteopathy」 そして 「Osteopathy Reserch and Practice」の3冊の原書を、JCO3年次の インターン期間中、昼間はインターン、夜はスティルの本という感じで 全て読みました。 「現代の」オステオパシー教育で教えられている内容と、彼の著書の内容 には大きな隔たりがあり、「現代の」オステオパシーの考え方に疑問を 感じていた私は、スティルの著書を読んで納得することができました。 先日ある出来事があり、あらためてオステオパシーとは何かを考えさせ られました。 以前にも書きましたがスティルはその著書で、オステオパシーをこう述べて います。 「オステオパシーとは何か?それは緊張、ショック、落下、構造的偏位、または  身体に作るあらゆる種類の傷により、負傷あるいは病気にかかっている人の  役に立つよう、その知識を応用できる、知的で技術の優れた人物に託されている  解剖学と生理学の科学的知識である。 (以下省略)」 またエドガー・ケイシーはリーディングの中で、 「オステオパシーの科学とは、脊椎の特定の分節を叩いたり骨を、  ポキポキ鳴らすことではない。オステオパシーとは手で触れることに  よって、自律神経系と脳脊髄神経系との間の、バランスをとること  である。これこそが真のオステオパシーである。」                リーディングNo.1158-24 私の中では、この二つが施術の基礎となっています。 この世界のあらゆるものは常に変化していますが、多くの人間は変化する ということを恐れます。 例えば、ある意味では現代のいわゆる西洋医学(アロパシー)と呼ばれるものの 対極に位置すると言ってもよい医療の一つに、ホメオパシーがあります。 ホメオパシーはドイツ人医師のサミュエル・ハーネマンが発表したものですが 彼は1810年に構想から20年の時を経て「オルガノン」というホメオパシー に関する著書を完成させ、存命中定期的に改訂版を出していました。 彼は1843年に亡くなりますが、彼が書いた最後の改訂版である第6版は、 彼の死後80年もの長きにわたり、出版されませんでした。 これは第6版が、それまでハーネマンが書いていたこととあまりにも内容が 食い違っているため、彼の弟子たちが自分の立場が脅かされることを恐れ、 封印してしまったのです。 真実を追求し続けるものにとって、自らの立場やそれまでに築き上げてきた 実績などは、さほど重要なことではないのです。 ハーネマンは、真の探求者だったのでしょう。 一方のスティルは1874年にオステオパシーを発表しましたが、最初の 著書「Philosophy of Osteopathy」を出版したのが1899年です。 彼も最初の本を出すまでに、オステオパシーを発表してから25年もの 歳月を費やしています。 少し長文になりますが、「Philosophy of Osteopathy」の最初の 文章を紹介しましょう。 はじめに オステオパシーが既成の事実となって以来、友人の多くは私が科学的論文を 書くことを切に望んでいた。 しかし、そのような論文を書くのに機が熟していると確信したことは、これまで 一度もなかったし、今でも多少時期尚早ではないかという思いはぬぐい去れない。 オステオパシーは単に揺籃期を迎えただけで、まさに発見されたばかりの未知の 大海であり、まだ我々はその沿岸の流れを知っただけに過ぎない。 せいぜい科学の表面をかすめただけの人達がペンを取り上げ、オステオパシーに ついて書いた本を見て、それらの著述を入念に調べた結果、彼らは何年も前に 私が決別した体系に科学を引きずり戻す、保守派の流れを汲んでいるのだと いうことがわかった。 そして知識に飢えた学生達は、そのような精神的な毒を今にも飲み込まんばかりの 危険な状態だったということに気がついた。 そして情報を知りたいと望んでいる人々のために、オステオパシーに関する何某かの 文献が必要だということを十分に認識するに至ったのだ。 この本は医学文献から引用していない。 ほとんど全ての重要な問題について、医学文献とは意見を異にするので、それらの 承認を得ようとは思っていない。 そのようなことは不自然で、不可能だと言えよう。 この本の目的は、私が原理として理解しているものを教えることであり、規則を 教えることではない。 何らかの病気を治療するために、特定の骨や神経や筋肉を叩いたり、引っ張ったり、 といったことを生徒に指導してはいない。 しかし正常なものと異常なものを知ることによって、あらゆる病気に対して、 具体的な知識を与えたいと望んでいる。 この著作は、専念せねばならない他の煩わしいことから解放され、やっと手に入れた 時間に、一度に付き少しずつ、数年かけて書き上げ、慎重にこれらの考えを一つの 論文に纏め上げたものである。 この中に書き記されている全ての原理は、自分自身の手で、かなり十分に検証して おり、真実であることが判明している。 この本は、今後指針となるかもしれない哲学のきっかけを、ただ世間に与えたいと いうだけで、立派なものを書こうという野心など毛頭なく、一人で自己流に書いた ものだ。 差し迫った需要を満たすために、この本は大急ぎで出版されたので、何かしらの 欠点があったとしても、読者諸氏にはお許し願いたい。 世の中がこれらの考えによって恩恵を受けるよう願っている。 敬具 1899年9月1日 ミズーリ州カークスヴィルにて A・T・スティル 以上は日本オステオパシーメディスン協会(JOMA)が、昨年出版した 「Philosophy of Osteopathy」の日本語版からの転載です。 スティルもまた、真の探求者と呼んでよいでしょう。 「現代の」オステオパスが何をもって、正統なオステオパシーだと考えるかは 各人の自由ですから、私がそれに対して何も言うことはありません。 しかし誰かが正統派オステオパスを自認し、その枠の中に収まらないものを オステオパシーではないと主張するならば、その前にオステオパシー創始者 であるスティルの著書は必読である、と私は考えています。 「正常」を知らずして、なぜ「異常」が分かるのでしょうか。 「だって僕、英語わかんないし。」という言い訳は通用しなくなりました。 日本オステオパシーメディスン協会(JOMA)が、2014年11月20日に 「Philosophy of Osteopathy」を日本語に翻訳、出版してくれたのですから。