「ケイシー・リーディング(17)」
今回のケイシー・リーディングは1932年1月15日に口述筆記された、No.3976-8のリーディングからの抜粋です。
このNo.3976-8は1921年~1944年にかけて主に当時の世界情勢に関して取られた、No.3976-1~3976-29の一連のリーディングの中の一つです。
西暦1932年は昭和7年となります。
日本では桜田門事件、五・一五事件などがあり、世界的に見てもフランス大統領ポール・ドゥメール暗殺、ドイツではナチ党が議会の第一党になるなど非常に不穏な時期となっています。
そして、1918年に第一次世界大戦を終えた人類は、1939年には第二次世界大戦へと突入していきます。
今回紹介するリーディングはこのような世界情勢の中で取られたものですが、2023年の私たちが読んでも、多くを学ぶことが出来るのではないでしょうか。
さて、現在存在している諸状況についてであるが――これらはどれも、人類家族の成長過程におけるある地点に到達していることを示している。
すなわち、 すべての人が合意できるようなある一つの地点を考えなければならないことを、つまり、 社会生活や人種の違い、人間と《創造力》つまり神との関係や人間同士の関係に関する見解の相違から生じてきたあらゆる混乱の中から、すべての人々が合意し得るある共通の基盤に到達しなければならない。
するとすぐに、そんな事は非現実的だ、不可能だ、とあなたは言うだろう。
国内だけでなく国外において現在の状態を招いた原因は何であろうか?
それは数千年前、あの問の内に既に認識されていた。
すなわち「お前の弟はどこにいるのか? お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる!」(創世記4章)と問われた時に、世界のもう一方の側は「わたしは弟の番人でしょうか」と答えたのであり、そして今なお答えている。
世界は、この分裂と不平不満に向かっている世界は、その理想を失ってしまった。
人類は同じ思想を持つことはできないかもしれない。
しかし、人類は、すべての人間は、同じ理想を持ち得るはずだ!
かつて神の霊が動いて混沌の中から平和と調和をもたらされたように、 (神の)霊が地をおおい、人の心と精神と魂の中にあって自らを大きくし、平和と調和と理解をもたらさなければならない。
それは、すべての人が一つの《理想》を持つことでのみ実現されるあの平安、あの調和をもたらすような仕方で、彼らが共生できるようになるためである。
それは一つの思想(アイデア)ではない。
「汝ら、心を尽くして主なる汝の神を愛すべし。己のごとく汝の隣人を愛すべし」という一つの《理想》である。
これこそが律法のすべてであり、これこそが世界に対する、すべての魂に対する解決策のすべてである。
これが、今日存在する世界の状況に対する解答である。
どのようにすればこのことを実現できるのだろうか?
それぞれが、それぞれの関わる世界において、(太初から与えられていた)それを実現することになると考えるところを実行に移すことによってである。
小さなパン種が一塊のパン全体を脹らせるのである。
人間は何事につけ力を――金の力、地位の力、富の力、その他もろもろの力を――その答えとしてきた。
これは一度として神の方法になったことはない。
これからも決して神の方法になろうはずがない。
むしろ、少しずつ、教訓に教訓を重ね、ここに少し、かしこに少し、自分のことよりも他人のことを心がけるような仕方――これこそが神の道であり、それによって世界はさまざまな形で無事に保たれてきたのである。
わずか十人の(義人が)いることで、多くの都市、多くの国家が破壊を免れてきたのである。
汝らは、それはアブラムに与えられたもの、つまり、アブラムが低地の町を見た時に、そこを救うことを嘆願した寓話であり、子供らに話して聞かせるべき美しい物語ではあるかもしれない――それは、昔であれば、自分のやりたい放題を望む人々を恐れさせたかもしれない――しかし、今の、今日の人々の心には入ってこないと考え、感じるかも知れない。
しかし、汝は、汝の兄弟に対して、汝の隣人に対して、責任を負わなければならないことを、汝自身の心の中で理解しなければならない!
では、誰が汝の隣人であるか?
汝の隣に住む人がそうであるのか、世界の反対側に住む人がそうであるのか?
理解を必要としている人がそうである!
躓いている人がそうであり、道に倒れている人がそうである。
その人こそが汝の隣人であり、汝はその人に答えなければならない!
No.3976-8