「私の知能テスト体験談」

当院には発達障害自閉症などの診断を受けた子供たちがこれまでに多数来院しており、ご両親から知能テストの結果について相談されることがあります。

特に小学校入学前のお子さんですと、小学校は普通学級が良いのか支援学級が良いのかと悩まれるご両親が多数いらっしゃいます。

私個人の考えでは、もしボーダーライン上ならば様々な経験をするために普通学級に行くことをお勧めしています。

更に、知能テストに関しては子供の性格面がその結果に大きく関係していると私は考えています。

 

今回は私が小学校5年生で知能テストを受けた時のことを書きたいと思います。

私が小学校5年生というと今から40年以上前のことですから、今とは違いあらゆることがユルい時代でした。

子ども達が知能テストを終えた後、担任のK先生は自分一人で生徒全員の採点をするのが面倒だったのか、知能テストの採点を生徒達に手伝わせました(結果的に誰の知能指数がいくつということを、生徒全員が知ることになりました)。

知能テストには立方体を様々な形に積み上げたものの数をかぞえて記入するような記入式のものもありましたが、その多くは選択式の問題だったと思います。

私も知能テストの結果を先生の指示で採点しましたが、その採点方法が私にとっては衝撃的でした。

私はテストを受ける際に、知能指数を出すには正解率も加味されるのだろうと勝手に自分なりの解釈をして、出来るだけ正解率を上げるようしっかりと考えて答えを記入するようにしていました。

しかし採点方法をみると、ただ単純に正解数だけをカウントするという形でした。

方法はというと、例えば「上の図形と同じ図形のものに〇をつけなさい。」という問題があれば、正解の解答部分だけが丸く切り抜かれた厚紙をページの上に載せ、その切り抜かれた部分にいくつの〇が記入されているかを数えていくというものでした。

私は正解率を上げようと努力したために、時間が足りなくて最終問題までたどり着けないページもあり、その採点方法を見て「ふざけるな!」と思いました。

とくに最終ページの問題は苦労して、かなりの問題を残したまま時間切れとなってしまったため「こんな単純でくだらない採点方法だと知っていれば、もっとたくさん答えられたのに・・・」と、ものすごく腹立たしかったのを覚えています。

今回インターネットのヤホーで、当時の最終問題と同じような問題がないかと探してみましたが見つけることが出来なかったので、自分なりに似たような問題を一問作ってみました。

 

問題は2つの図形が様々な形態で並んでおり、その2つの図形が全く同じ図形ならば、下にあるカッコに〇を記入するというものでした。

 

以下は私が作った問題↓

 

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上の図形だと鏡像になっているため、カッコに〇は入りません。

下の図形だと、左右が同じ図形なのでカッコに〇と書くことになります。

 

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この最終問題、途中からかなり難易度が高くなり私は正確性を求めるあまり、多くの問題を残したまま時間切れとなってしまいました。

しかし最初に書いたような採点方法だと、仮に多くの間違いを犯してもその部分は厚紙の下に隠れているわけですから、点数には全く影響がありません。

大雑把な性格の人間が、しっかりと確かめもせずにどんどん〇をつけてしまえば、高い点数を得ることになります。

極端なことを言えば、考えるのが面倒だからと全ての問題のカッコに〇をつけてしまえば最高得点が得られるわけですから、素晴らしい知能を持った人間という結果になってしまいます。

知能テストの結果というものがいかにその人間の一面しか見ていないかということが良く分かるのではないでしょうか?

所詮、自称専門家という人間が考えたいいかげんな判断基準の数値など、この程度のものです。

人間という奥深い存在を数字だけで判断するなど「愚の骨頂」ということです。

 

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「今日の映画『コレクティブ 国家の嘘』」(動画)

現在、全国のミニシアター系映画館において上映中の映画「コレクティブ 国家の嘘」を観てきました。

私が観た映画館は、ヒューマントラストシネマ有楽町。

 

映画「コレクティブ 国家の嘘」公式サイト|10月2日(土)ロードショー

 

ヒューマントラストシネマ有楽町

 

「コレクティブ 国家の嘘」概略

2015年10月30日、東欧ルーマニアブカレストのライブハウス「コレクティブ」で実際に起こった火災を発端に、明らかになっていく製薬会社や病院、そして政府や権力へと繋がっていく衝撃的な癒着の連鎖。

本作は、命よりも利権や効率が優先された果てに起こった国家を揺るがす巨大医療汚職事件の闇と、それに対峙する市民やジャーナリストを追った、フィクションよりもスリリングな現実を捉えたドキュメンタリー映画

 

「コレクティブ 国家の嘘」あらすじ

2015年10月30日、東欧ルーマニアブカレストのライブハウス「コレクティブ」でライブ中に火災が発生。

27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者がその後の数か月に複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。

カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。

その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。

真実に近づくたび、増していく命の危険。

それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。

一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる新たな保健大臣が誕生する。

彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが・・・。

 

「コレクティブ 国家の嘘」予告編

www.youtube.com

 

主な登場人物

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私がこの映画を観に行ったのは水曜日の午前中。

座席数は162席とそれほど多くはありませんが、上映が平日の午前10時スタートにも関わらず、最前列などの一部を除きほとんどの席が埋まっていました。

私と同じように、今この時期に観ておくべき映画だということを多くの日本人が感じたということではないでしょうか。

この時期に「ヒューマントラストシネマ」という名の映画館で「コレクティブ 国家の嘘」を上映するとか、タイムリー過ぎです。

 

現在の日本は社会システムがあまりにも巨大になりすぎて、客観的に見て明らかにおかしいと思うような事柄があったとしても「どうせ自分が何か言っても、何も変わらない」と考え、何もせずに傍観者のままでいる人が多いのではないでしょうか。

何もしなければ状況は現状のままか、更に悪化するだけでしょう。

しかし、この映画の登場人物達のように僅かな人間でも行動を起こせば、状況を変えられる可能性が出てきます。

 

話は若干逸れますが、昨年から今年にかけて私のブログに何度か登場しているamazarashiのライブが、厳重な感染症対策のもとに先日行われました。

ライブに来ていたのは、今どきの髪形や服装をした20代くらいの男女が多かったのですが、このような若者達がamazarashiのライブに多数来ているのを見て、これからの日本に少し安心したことをこの記事を書いていて思い出しました。

 

 

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「東京都初の10代の新型コロナ死者、死因は ” 事故 " 。8月30日には基礎疾患無しの23歳男性がワクチン接種3日後に死亡。」

本記事は、若い世代の参考にしていただければ幸いです。

 

東京都で初めて10代が新型コロナにより死亡するというニュースがありましたが、死因は事故だそうです(PCR検査を実施したのは事故による死亡後)。

死因が事故や他の疾患でも、PCR検査陽性ならば新型コロナ感染症による死亡者数にカウントされるということが、昨年6月の厚生労働省の通達により1年半近く続いています。

 

news.yahoo.co.jp

 

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上記記事の続報↓

news.yahoo.co.jp

 

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こちらは日テレニュースより↓

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都248人 事故後検査で10代死者判明も(日テレNEWS24)東京都内で新たに248人の新型コロナウイ…|dメニューニュース(NTTドコモ)

 

東京新聞より↓

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/133558

 

各記事の内容を総合すると、8月10日に死亡が確認された男性(都外在住、ワクチン接種なし)は事故で死亡後にPCR検査をして陽性だったことが判明、届け出が都内の医療機関だったため都内初の10代の新型コロナ感染症による死者となる、東京都が発表したのが9月28日、事故の詳細については非公表、感染と事故は無関係とみられる。

 

参考までに2020年6月20日埼玉新聞の記事↓

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ちなみに2021年8月30日には、基礎疾患の無い23歳の男性が2回目のワクチン接種3日後に死亡していますが、この件に関する記事を見つけることは出来ませんでした。

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https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000830623.pdf

厚生労働省に報告されているワクチン接種が原因の可能性がある死亡事例は、9月10日現在で1,142例ありますが、今のところ基礎疾患の有無に関わらずワクチンとの因果関係が認められた件数はゼロです。

この基礎疾患の無い23歳男性の事例でもワクチンとの因果関係無しと確定すれば、この先10代で同様の事例が発生したとしても因果関係無しということになるのでしょう。

 

厚生労働省において実際に業務に携わっている担当者は、どのような思いで新型コロナウイルス感染症に関わる仕事に取り組んでいるのでしょう。

 

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「中村哲医師のDVD」(動画)

中村哲医師の著書を数冊読みましたが、中村医師がアフガニスタンにおいて水路を作る際に参考にした山田堰の構造など、文章では分かりにくい部分があったため中村医師のDVDを購入してみました。

まずは山田堰について。

 

山田堰 | 朝倉市

 

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こちらは中村医師が参考にして鉄製で同じものをアフガニスタンに作った、福岡県朝倉市菱野の三連水車↓

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2010年当時の報道番組の内容がyoutubeにupされていました↓

www.youtube.com

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2020年度ペシャワール会現地報告会、1:30~22:30でPMSペシャワール医療サービス)方式の灌漑事業について、分かりやすく説明されています。中村医師は50歳を過ぎてゼロから土木工学を学び、この事業を完成させました。

www.youtube.com

 

中村医師のDVDより、内容を一部紹介いたします↓

 

DVD「アフガニスタン 用水路が運ぶ恵みと平和」より

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DVD「荒野に希望の灯をともす」より
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現在、当院において中村医師の著書とともに、これらのDVDも貸し出しておりますので、特に当院に来ている中学生、高校生、大学生くらいの年代に見ていただきたいと思っています。

中村医師は著書の中で、現在の若い世代に対する大きな希望をたびたび語っていました。

 

では最後に中村医師の著書「天、共に在り」の最後の文章を紹介いたします。

 

しかし、変わらぬものは変わらない。

江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。

いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。

今大人が唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。

だまされてはいけない。

「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。

それを次世代に期待する。

「天、共に在り」

本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。

やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。

人も自然の一部である。

科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。

それがまっとうな文明だと信じている。

その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。

これが、三十年の現地活動を通して得た平凡なメッセージである。

 

 

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「中村哲医師の著書」(本)

アメリカ軍の撤退により様々な混乱が伝えられているアフガニスタンですが、私の中にアフガニスタンという国についての知識があまりにも少なかったので、中村哲(なかむらてつ)医師の著書を数冊購入して読んでみました。

中村哲医師は当初医療支援のためにアフガニスタンにおいて、主にハンセン病患者の治療を行っていました。

しかし、干ばつによる飢餓や衛生状態の悪化のため死亡する子供や老人、難民化する人達を見て、医療よりも水と食料の確保が先決と、アフガニスタン国内に約1,600の井戸を掘り、更にゼロから土木工学を学び、地元福岡に古くからある山田堰を参考に総延長約27kmの灌漑水路を完成させて16,500ヘクタールの農地を再生、65万人が再び自活できるようにしました。

2019年、中村医師は武装勢力に銃撃され死亡しましたが、現在も彼を支援していたペシャワール会により医療、農業、用水路事業は継続されています。

 

中村哲 (医師) - Wikipedia

 

ペシャワール会のサイトからアフガニスタンの現状。主要メディアのニュースよりも現地の様子が良くわかります↓

www.peshawar-pms.com

 

NHKニュースから↓

www3.nhk.or.jp

www3.nhk.or.jp

 

アフガニスタン関連のニュースでは「タリバン」という言葉が頻繁に出てきますが、澤地久枝さんが中村哲医師に行ったインタビューを書籍化した「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」から、中村医師がタリバンについて語っている部分です↓

 

澤地:

まず食べられて、生きていけなければ定着性をもてないから、教育も身につかないでしょう。

 

中村:

そうだと思います。われわれが慣れているのは、いわゆる国民学校です。しかし、農村地帯に行くと、伝統的な寺子屋といいますか、モスクを中心にした識字教育などをするところ---マドラッサといいます---があって、国民学校はそれと並存している状態なのです。

特に米軍が入ってきたあとは、そのモスクを排除して国民学校を増やそうとしています。国連も、欧米の団体、日本の団体も、マドラッサは援助から外しています。いままで、モスクを中心に行われてきた学校教育は、危険思想の中心だという考え方が、どこかにあるんでしょうね。モスクを中心にした寺子屋方式の教育という、昔から地元に根付いたものがなくなるのは、地域のアイデンティティがなくなるに等しいわけです。国民学校もけっこうだけれども、マドラッサの建設もやってくれと言っても、その要望は通らないです。それどころか爆撃の対象にしている。

マドラッサで学んでいる子供を、タリバンというのですが、それはアラビア語です。単数形がタリブ、複数形がタリバンですが、マドラッサで学ぶ子どものタリバンと、政治勢力としてのタリバンは違うのです。その区別もよくわからずに、「タリバン終結している」というので爆撃して、「タリバンを80名殺した」と新聞に載る。死んだのは皆、子供だったとかね。タリバン=過激思想の持ち主じゃないんですよ。

 

澤地:

先生たちが井戸を掘るときに、タリバンの兵士が一緒に働いたりしていますよね。

 

中村:

その場合のタリバンは、いわゆる政治勢力としてのタリバンですけれども、その名称そのものは「学童」だとか、「ミッションスクールの生徒」というのに等しいわけです。それと政治勢力は違うという、現地で通用する常識すら知ろうとしない。無視してるみたいです。

たしかに、マドラッサを中心に、いわゆる政治勢力としてのタリバンが発生してくることは事実ですけれども、マドラッサと聞いただけで、外国から来る人は嫌悪する状態です。あれも、よくないですよね。過激思想をどう定義するかは別として、政治性をもったマドラッサはむしろ少ないですよ。マドラッサというのは、日本ではあまり知られていなくて、「タリバンを生み出すところ」ぐらいの理解しかないですが、実際は、地域の共同体のかなめなんです。

あそこは、基本的に自治の社会ですから、たとえば各村が争っているときに、その調停役になるのがマドラッサなのです。ですから、その地域に不可欠の要素であるわけですが、なかなか外国の人がそれを理解してくれない。これは僕の言葉ではなくて、アフガニスタンの教育大臣の話です。

マドラッサがないことには、アフガニスタンの地域共同社会というのは成り立たないということを、彼は強調していました。しかし、マドラッサ=タリバンという連想で、国連は援助項目から外している。そのことを嘆いていました。

 

 

次にアルカイダについて、同じく「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」から、

 

中村:

アルカイダが育つ地盤というのは、はっきり言って、アフガニスタンの農村にはないと断言できます。というのは、アルカイダのアラブ系のひとたちを見ていると、非常に裕福な家庭に育っていますね。タリバンと違う点はそのあたりで、いわば都会化された・・・・・。

 

澤地:

高度に教育された・・・・・。

 

中村:

エリート的な人たちを中心とした人たちです。一方、タリバンというのは、日本でいえばさしずめ、普段は肥たごを担いで、畑に撒くような、田舎っぺというか・・・・・。

 

澤地:

ローカルな人たちですね。

 

中村:

非常にローカルな人たちです。アルカイダタリバンはずいぶん違う。アフガンの純朴な人たちは、たまたまイスラム教という同じ宗教で、アラブの国からやってきた信仰深い人たちだなぁという以上の受け止め方をしているとは思えない。

 

澤地:

一つ一つの集落が、わりにきちんとしていて、たとえ同じイスラムの人であっても、よそ者が簡単に入り込めない感じがしますね。

 

中村:

ええ。

 

澤地:

たとえば、アラブで教育を受けて逃げてきた人が、突然、ここで一緒に暮らしていけますかね。

 

中村:

金の力でやった人たちもいますけれども、それはやむを得ず。皆、食えないから・・・・・。ワッハーブの人たちがアラブから大量にやってきたことがありましたが、皆、食えないからやむを得ず従ったというだけの話で、それ以上のものではなかったですね。それも、ごく一部の地域で、ほかの地域は、それに反感をもっていました。

あの当時、ソ連イスラム教勢力の戦いというふうに二分法で分かれる戦いじゃなくて、ゲリラ同士もかなり激しい戦闘をしていたんですね。それはアラブ系の入った地域になびいた人々と、それに反発するオリジナルのグループとの対決。これがかなり強かったですね。いわゆるアラブアフガンです。

逆に言うと、それだけアフガニスタンという国全体が伝統的な体質を尊重する国だということで、そこからは、われわれが想像するような国際テロ組織というのは生まれようがない。コンピュータを駆使して、飛行機を乗っ取ってというような芸当が、あのオジサンたちにできるはずがない。いわゆるテロ実行犯というのは、アラブ系のエリートで、ほとんどがドイツ、アメリカ、イギリスで育った若者たちです。

 

澤地:

そうですね。

 

中村:

だから、この戦争そのものがおかしいのは、皆が言っているようにそれですよ。「うちから、どのテロリストがアメリカにわたって米国人を攻撃しましたか」と。テロの温床は、じつは先進国の病理です。

だから、むしろアメリカの病は自分たちのなかにある。それを外に転嫁して、タリバン掃討だとか言っているわけです。

 

以上、「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」より。

 

平穏に生活している村に、いきなり外国の兵士がやってきてモスクやマドラッサを破壊し、コーランを破り捨て、罪のない子供たちの命を奪う。

日本で言えば、いきなり攻め込んできた外国軍が神社や仏教寺院を破壊し、仏教の経典を破り捨て、罪のない子供たちの命を奪うようなものでしょう。

イスラム教はアフガニスタンの人々の中に深く根ざしていますからモスクやマドラッサを破壊し、コーランを破り捨てることは、日本人が考える以上のものに違いありません。

そしてさらに、罪のない家族の命を奪うのですからアフガニスタンの人々の悲しみや憎しみは計り知れません。

中村医師の著書には、戦争により子供を失った母親が自爆テロに志願して亡くなる話、あるいは誤爆により幼いころに両親を失った男の子が成長して武装集団に入り、若くして外国軍との戦闘で亡くなる話などが出てきます。

日本におけるアフガニスタンに関する報道といえば、もっぱらタリバンを批判する内容ばかりですが、結局のところ新たな(政治勢力としての)タリバンを生み出しているのはアメリカを中心とした、アフガニスタンを攻撃してきた諸外国という側面があるのではないでしょうか?

やはり単にテレビのニュースで知ったつもりになるのではなく、真実は出来る限り自ら探して知る努力をしなければいけません。

 

こちらはマルワリード用水路完成前後の写真↓

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中村医師の著書、読みたい方は貸し出しいたします。

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次回は、中村医師のDVDのご紹介。

 

 

 

 

 

「多数決」(動画)

最近の身近な出来事から、amazarashiの「多数決」という楽曲の歌詞を思い出しました。

現在のこの世界で生きていくということは、誰にとってもなかなか大変なことです。

 

www.youtube.com

 

 

多数決

作詞・作曲:秋田ひろむ

 

臆病者ほど人を傷つけると言うなら 一番臆病なのはこの世界なのかもしれない

優しい奴ほど背中を丸めて歩く 腹いせにこの都会を踏んづけて歩く

 

時代は変わっていくのではなく吹きすさぶのだ 向かい風に逆った奴らは行っちまった 

息を止めた憐れな孤独の悲しみ共 空元気が繁華街に反響して空虚

 

価値観も善悪も 多数決で決まるなら 

もしかしたら 生まれる場所を間違えたのかもな

もういいよ いいよ この部屋は世界の隅で

機会を今かと、窺うには丁度いいかもしれない

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う

 

多数派が少数派に面倒を押し付ける 持つ者は持たざる者を食い物にしてる 

強い者が弱きを挫いて溜飲を下げ 都会は田舎をゴミ捨て場だと思ってる

 

人類最後の解決法が戦争だけなら 進化論も当てにはならなかったみたいだ

その実、知恵のある振りをした獣だから 空腹もこれ以上無い動機になりえた

 

違和感も常識も 多数決で決まるなら

もしかしたら当たり前も もう疑うべきかもな

もういいよ いいよ この町は忘れ去られた

良からぬ事を企てるには丁度いいかもしれない

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う

 

札束の数 名誉の数 友達の数  勲章の数 

勝ち越した数 賞状の数 努力した数 褒められた数 

僕らの価値は数字じゃない

自分の評価を人に任せる訳にはいかない

世界は移り変わる 昨日の価値は今日の無価値

 

罪悪も合法も 多数決で決まるなら

もしかしたら百年後は もう全員罪人かもな

もういいよ いいよ この世界は壊れすぎた

白紙から描き直すには丁度いいかもしれない

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う

 

 

 

「神との友情」(5/5)

キャンプ道具を引きずって公園に行ったあの日を祝福します。

あれは人生の終わりではなく、はじまりだったんですから。

あの公園で忠誠心と誠実さ、真摯さ、信頼、そして簡素さや分かち合い、生き延びるということを学びました。

逆境にあっても決してあきらめず、そのときその場の真実を受け入れ、感謝することも学びました。

学んだのは映画スターや著名な作家からだけではなかったんです。

友達になってくれたホームレスのひとたちや、毎日会うひと、人生で出会ったひとたちからも学びました。

郵便配達人、食料品店の店員、ドライクリーニング店の女性。

 

誰もが何かを教えてくれる。

何かを贈り物として与えてくれる。

そして、誰もがあなたから贈り物を受けとる。

これが、偉大な秘密だよ。

あなたは彼らにどんな贈り物をしただろう?

迷って誰かを傷つけたと思っても、それが贈り物ではないと思わないように。

それも大きな宝物だったかもしれない。

あなたの公園での生活のようにね。

あなたは、いちばん楽しかったことよりも、最大の苦しみから大きなことを学んだのではないかな? とすれば、あなたの人生で誰が悪人で、誰が犠牲者だろう。

それを経験のあとではなく、前にはっきりと見ぬければ、ほんとうに<マスター>になれる。

貧窮と孤独の日々は、あなたの人生が決して終わっていないことを教えてくれた。

人生が終わりだなんて、絶対に考えてはいけない。

毎日が、毎時間が、毎瞬が新たなはじまりで、新たな機会で、新たに自分自身を再創造するチャンスだということを忘れないように。

最後の瞬間、死のときですら、それを実行すれば、あなたの人生経験のすべてが正当化され、神の前で栄光に包まれる。

あなたが凶悪犯であっても、死刑囚房にいる殺人者でも、刑執行を目前にした犯罪者でも、その真実は変わらない。

このことを、知っておきなさい。

信じなさい。

真実でなければ、わたしはこうは言わない。

 

 

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「神との友情」(4/5)

 

電話ボックスを出たわたしは、文字どおり飛びあがって歓声をあげましたよ。

たまたま、二人の人間が通りかかり、ひとりが言いました。「いいことがあったようだな」

「仕事が見つかったんだ!」わたしは叫びました。

二人は本気で喜んでくれました。

「どんな仕事だい?」ひとりがたずねました。

「週末のディスクジョッキーだよ!3時に面接なんだ」

「その格好でか?」

わたしは自分の格好を考えていなかった。

髪は伸びほうだいだが、そっちはまあ問題ないだろうと思いました。

アメリカのディスクジョッキーの半分はポニーテールですから。

だが、服のほうはどうにかしなければならなかった。

キャンプ場にはコインランドリーがありましたが、洗剤を買って洗濯して乾かしたものを身につけ、さらにメッドフォードまで往復するだけの金がなかったんです。

そのとき、自分がどれほど貧しいか、やっと気づきました。

町に出て面接を受けるという基本的なことすら、奇跡でもなければできないんです。

わたしがぶつかったのは、ホームレスのひとたちが自分で稼ぐふつうの生活に戻ろうとするときに立ちはだかる障壁でした。

二人はわたしを見て、何を考えているかを読みとったようでした。

「金、ないんだな?」ひとりが、ちょっとばかにしたように言いました。

「2ドルくらいかな」それでも過大評価かもしれない、と思いましたよ。

「わかった。来なよ」

わたしは二人について、テントが集まっているところへ行きました。

「彼には、ここから出るチャンスがありそうなんだよ」二人は友人に説明し、それから何かささやきましたが、わたしには聞こえませんでした。

それから、年かさのほうがわたしを見て言いました。

「あんた、何かまともな衣類をもってるか?」

「ああ、ザックの中にあるが、汚れてる。すぐに着られるものはないんだよ」

「それ、もってきな」

戻ってみると、見たことのある女性が加わっていました。

彼女は公園のあちこちに停めてあるトレーラーのひとつに住んでいたんです。

「それを洗って乾かしてくれば、アイロンをかけてあげるわよ」

彼女は言いました。

男たちのひとりが進み出て、じゃらじゃらとコインの入った茶色の紙袋を差し出しました。

「みんなで集めたんだ。コインランドリーに行ってきな」

5時間後、わたしは長髪に目を輝かせ、町中のアパートからやってきたような姿でラジオ局に現れたというわけです。

そして、職を得ました!

「1時間6ドル25セント、1日8時間です」と編集長は言いました。

「こんな仕事で悪いんだが、いま空きがあるのはそれだけでね。あなたにはたぶん役不足だろうから、断ってくれてもかまいませんよ」

週に100ドル!週に100ドル稼げるんです。

月に400ドルになる。

当時のわたしにとっては大金でした。

「いやいや、いまはそれくらいがちょうどいい」わたしは軽い調子で答えました。

「ラジオの仕事は好きなんですが、いま、ちょっとべつのことにかかってましてね。腕を錆びつかせない程度の仕事がしたいんです。楽しみですよ」

嘘ではありませんでした。

楽しみだったんですから。

生き延びられる楽しさです。

それから2か月、テント暮らしを続けて金を貯め、63年型のナッシュ・ランブラーを買いました。

百万長者になった気分でしたね。

キャンプ場で車をもっているのはわたしだけだったから、気前よく貸しましたよ。

みんなから受けた恩は決して忘れませんでした。

11月、だんだん寒くなってきたので、週に75ドル払って、公園にある小さなワンルームのキャビンに移りました。

友だちを外に置き去りにするのは心苦しかった。

それだけの金をもっている者はほかに誰もいなかったですから。

それで、とくに寒い日や雨の日には、一人、二人を招いて泊めました。

順番にして、悪天候からのがれるチャンスがみんなにまわるようにしました。

いつまでもパートタイムで終わるのかと思いかけたころ、突然べつのラジオ局から午後の番組をやらないかと申し出を受けました。

ウィークエンドの番組を聞いて気に入ってくれたんです。

だが、メッドフォードのラジオの市場はそう大きくはありませんから、最初の給与は900ドルでした。

それでもまたフルタイムで働き、キャンプ場から出られます。

キャンプ場暮らしは9か月でした。

あのときのことは決して忘れませんよ。

 

 

つづく。

 

 

 

「神との友情」(3/5)

公園での暮らしはとても単純でした。

最大の問題(最大の望み)は、暖かくして濡れずにいること、それだけです。

昇進も望まなければ、「女の子と知り合いたい」と思うことも、電話代で気をもむこともないし、これからの人生で何をすればいいかと悩むこともありませんでした。

雨が多かったし、3月の冷たい風が吹きすさんでいたから、とにかく身体を濡らさず、暖かくしていようとがんばるしかなかった。

ときには、どうすればそんな生活から脱出できるか考えることもありましたが、それよりも、どうすればこの生活を続けられるかのほうが大問題だったんです。

週に25ドル稼ぐのは容易なことじゃなかった。

もちろん、仕事を探そうとは思っていました。

だが、それより目の前の問題のほうが先決です。

今夜、明日、明後日をどう生き延びるか、なんですから。

首の骨を痛め、車はなく、一文無しで、食べるにもこと欠き、住む場所もない。

だが、春だったからやがて夏が来る。

それはプラスの面でしたね。

毎日ごみ箱をあさって、新聞紙だの、かじりかけのリンゴ、子供が食べ残したサンドイッチなどを探しました。

新聞紙はテントに敷くためです。

新聞紙を敷けば暖かいし、湿気が上がってこないし、地面の固さがやわらげられるし、平らになる。

だが、もっと大事なのは求人情報でした。

新聞が手に入ると、求人広告を見るんです。

首にけがをしていたから、肉体労働はできない。

だが、男がすぐにできる仕事といったら、ほとんどは肉体労働です。

日雇い、あちこちの現場の手伝いなんかばかりでした。

ところが、探しはじめて2か月したとき、金的を見つけたんです。

 

週末担当のラジオ・アナウンサー募集

経験者。連絡先・・・・・etc.

 

どきっとしましたよ。

オレゴン州メッドフォードには、放送界の経験がある失業者がどれくらいいるだろう?

公衆電話に走り、電話帳のイエローページで放送局を見つけて、貴重なコインを入れ、電話をかけました。

採用担当は編集部長のはずでしたが、不在でした。

こちらからおかけしましょうか、と相手の女性は言ってくれました。

「お願いします」わたしはできるだけラジオ向きの声を出して、求人広告を見たのだと答えました。

「4時まではここにいますから」そう言って公衆電話の番号を伝え、受話器を置くと、ボックスの横の地面に座り込んで、かかってこない電話を3時間待ちました。

翌朝、ごみ箱でペーパーバックのロマンス小説を見つけ、電話ボックスのあるところに戻りました。

1日中でも待てる態勢にしておきたかったんです。

9時に腰を落ち着けて本をひろげ、午前中に電話がかからなければ、昼食後もういちど、大切なコインを使って電話してみようと決意しました。

電話は9時35分にかかってきました。

「昨日、電話できなくてすみません」編集長でした。「どうしても手があかなくてね。ディスクジョッキーの求人広告を見たそうですね。経験はありますか?」

今度も、できるだけ響きのいい声で答えましたよ。「あちこちの放送局で仕事をしました」それから、いかにもさりげなくつけ加えました。「この20年ほどです」

このやりとりのあいだ、頼むから大型のRVがそばを通らないでくれと祈っていたんです。

なんで、リビングを大型車が通りぬけるのか説明するはめになるのはごめんですからね。

「こっちへきてもらえませんか?」編集部長はそう言いました。

「エア・チェックはもってます?」

エア・チェックというのは、音楽をぬいたディスクジョッキーのデモテープのことです。

相手は関心をもってくれたんです。

「いや、ポートランドに置いてきましたんで」わたしはごまかしました。

「しかし、コピーをくだされば即興で読みますよ。そうすれば、判断していただけるでしょう」

「いいでしょう」彼は同意しました。

「じゃ、3時ごろに来てください。4時には出かけなきゃならないので、遅れないように頼みます」

「わかりました」

 

 

つづく。

 

 

 

 

「神との友情」(2/5)

2日後、最後に残った数ドルをかき集めて、サザン・オレゴン行きのバスの切符を買いました。

別れた妻のひとりが、子供3人と暮らしていたんです。

彼女に助けてくれ、なんとか立ち直るまで、あいた部屋に数週間泊めてくれないか、と頼みました。

断られましたよ。

あたりまえですが。

もうほかに行くところがないんだ、と言うと、彼女は言いました。

「テントとキャンプ用品を使ってもいいわ」

そんなわけで、オレゴン州アッシュランド郊外にあるジャクソン・ホット・スプリングズの中央の広場にたどり着いたってわけです。

そこでは週に25ドルでキャンプさせてくれるんですが、その金がわたしにはなかった。

管理人に金をかき集めるまで数日待ってくれないか、と頼み込んだらびっくりしていましたよ。

公園は放浪者で満員で、それ以上は入れたくなかったんでしょうが、彼は話を聞いてくれました。

火事のこと、交通事故で首を痛めたこと、車を盗まれたこと。

信じられないほどの不運の連続に気の毒に思ったんでしょうね。

「よし、数日待ってやろう。どうにかできるか、やってくるといい。あそこにテントをたてな」

そう言ってくれたんです。

わたしは45歳で、もう人生は終わりだと感じていました。

放送界で専門職として良い給料をとり、新聞の編集長になり、全国でも有数の学校システムで広報を担当し、エリザベス・キューブラー・ロス博士の個人アシスタントを経験したのに、道路や公園でビールの缶やソーダの空き缶を拾い、1個あたり5セントの返金を稼ぐまでに落ちぶれたんです(空き缶20個で1ドル、100個で5ドル、500個拾うと、キャンプ料金になりました)。

あそこで過ごした1年近くのあいだに、路上生活にだいぶくわしくなりました。

実際には路上生活をしていたわけではありませんが、すれすれの暮らしですからね。

道路や橋の下や公園の暮らしにも規範があると知り、世間の人びとも同じ規範を守れば世界が変わるだろうと思いましたよ。

その規範というのは、助け合うということです。

宿なし生活を数週間も続けると、同じ境遇のひとたちと知り合いになります。

個人的なことはべつですよ。

誰もどうしてそんな生活をすることになったか、なんて聞きはしません。

だが、困っていれば、屋根の下で暮らしているひとたちのように知らん顔はしません。

足を止めて、「だいじょうぶかい?」と聞いてくれます。

最後に残った乾いた靴下をくれたひとも、こっちがその日の「ノルマ」を果たせなかったと知って、半日歩きまわって缶を集めて得た金をくれたひともいました。

誰かが(通行人に5ドルか、10ドル恵んでもらう、というように)大儲けをすると、キャンプ地に戻ってきてみんなに食べ物をふるまうんです。

最初の晩、寝場所をつくろうと奮闘していたときのことを覚えています。

着いたときは、もう薄暗くなっていました。

さっさとすませなければならないのはわかっていましたが、テントをたてた経験がそうあったわけじゃなかった。

風が強くて、雨も降りそうでした。

「あそこの木の下にしな」どこからともなく、しゃがれ声が聞こえてきました。

「それから、あの電柱にロープを張るんだ。ロープに印、つけとけよ。夜中にトイレに起きたとき、自分の首を吊らんようにな」

小雨が降りはじめました。

気づいたら、二人でテントをたてていましたよ。

名前も知らないその友人は、必要以外の口はきかず、「ここに杭を打たんと、な」とか「入り口のシートは上げといたほうがいい。寝てるまに水びたしになる」などと言うだけでした。

テントができあがったとき(ほとんどの作業は彼がやってくれたんです)、彼はカナヅチを地面に放り出し、「これでいいだろ」とつぶやいて、行ってしまいました。

「ありがとう、助かったよ」私はその背中に声をかけました。「あんた、名前は?」

「そんなことはどうでもいいよ」彼は振り返りもしませんでした。

それっきり、彼に会ったことがありません。

 

 

つづく。

 

 

「神との友情」(1/5)

先日、某youtubeチャンネルの動画内での発言が炎上していました。

その発言内容を見て、私が多大な影響を受けた「神との対話」シリーズの著者、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書「神との友情(下)」を思い出しましたので、その内容を転載いたします。

若干長くなりますので、今回は数回に分けて紹介いたします。

 

ニール・ドナルド・ウォルシュ - Wikipedia

 

「神との友情(下)」第16章

ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書は、基本的に神との対話形式で書かれる。

細字はニール、太字は神の言葉。

なお、神の言葉は本記事の最終回まで出てきません。

 

 

前半部分は省略。

 

そうですね。

わたしも・・・・何しろ、そう、ひどくもなかったかな。

だが、ひとに安らぎを与えてはきませんでした。

1980年代はじめでさえ、少しは人間的に成長したと思ったころでさえ、学んだことを実践してはいなかった。

わたしはまた結婚し、テリー・コール・ホイッテイカー・ミニストリーズを離れ、サンディエゴの喧噪を離れて、ワシントン州のクリックキタットという小さな町に移り住みました。

だが、そこでも人生は、あまりうまくいかなかった。

理由の大半は、私が一緒にいて安らげる人間じゃなかったからです。

利己的で自分が欲しいものを得るために、すべての瞬間、すべてのひとをあやつろうとしていた。

すべてをやり直そうとオレゴン州ポートランドに引っ越したときも、たいして変化はありませんでした。

事態は改善するどころかますますややこしくなり、おまけに妻と住んでいたアパートが大火事にみまわれて、もっていたすべてをなくしてしまったんです。

それでもまだ、終わりではなかった。

結婚生活は破綻し、べつの関係がいくつかできて、それも破綻しました。

溺れかけた人間が、もがいてまわりの人間をまきぞえにしているようなものでした。

今度こそ、これ以上悪くなるはずがないと思いました。

だが、まだ甘かった。

80歳の老人が運転するスチュードベイカーと正面衝突、首の骨を痛めました。

フィラデルフィア・カラーに1年入院し、何ヶ月かは毎日、それから何ヶ月かは1日おきに厳しい理学療法を受け、さらに週に2回ずつ通い、ようやく治療は終わりました。

そのときは、人生のほかのすべても終わっていた。

収入を得る道はなくなり、最後の人間関係も壊れ、ある日気づいてみたら、車まで盗まれていました。

まさに「泣きっ面にハチ」で、あのときのことは一生忘れないでしょうね。

つぎからつぎへと襲ってくる厄災にうちのめされたわたしは、駐車場所を間違えているのではないかという望みにすがって、道路をあちこち歩きまわりました。

だがやっぱり盗まれたんだとあきらめたときは、口惜しさと怒りで舗道に膝をついてわめきましたよ。

通りがかりの女性がびっくりして、通りの向こう側に逃げていきましたっけ。

 

つづく。

 

 

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「日本政府、アフガニスタンに自衛隊機派遣を決定。」

先日の記事でアフガニスタン在留邦人が心配ですと書きましたが、日本政府が邦人の国外退避のため自衛隊機を派遣することを決定したようです。

日本大使館国際協力機構(JICA)で働いていた現地スタッフとその家族らも、本人の希望を踏まえ対応するようです。

現地での混乱は今後更に拡大する可能性があるので単純に喜べない部分はありますが、邦人、現地人スタッフに関してはとりあえず安心しました。

退避先は中東のカタールとする方向で検討中。

 

www.sankei.com

 

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 8月26日追記:

まだ状況は予断を許さないようです。

news.yahoo.co.jp

 

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8月29日追記:

www3.nhk.or.jp

 

 

 

 

 

 

「北里研究所のイベルメクチン治験 ー 治験を受ける新型コロナウイルス感染者が足りなくて治験が進まず困っているようです。」

 

北里研究所・北里大学病院はイベルメクチンの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する適応追加を目指した医師主導治験を行なっておりますが、治験を受ける新型コロナウイルス感染者が足りなくて、未だ目標症例数に達しないため困っているようです。

新型コロナウイルス感染症に罹患した、軽症から中等症の一部の方が対象だそうです。

該当する方で治験に参加してもよいという方がおりましたら、コールセンターに連絡してみてください。

東京都医師会も協力しているようですが、これだけ東京都の感染者が多い中、軽症の新型コロナウイルス感染症罹患者が集まらない理由はどこにあるのでしょう?

 

治験に関して、分かりやすい記事がありました↓

www.broadcreation.com

 

イベルメクチンに関して、より詳しく知りたい方はこちらもどうぞ↓

ameblo.jp

 

北里大学研究所のサイトより↓

www.kitasato.ac.jp 

www.kitasato.ac.jp

 

 

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「シルバーバーチは語る」

今回は「シルバーバーチは語る」より、第4章「明日の世界」を紹介いたします。

この内容は20世紀前半にシルバーバーチにより述べられたものですが、21世紀の現在でも全く色褪せることなく、ますます輝きを放っています。

  

シルバーバーチ霊とは

 

 

シルバーバーチは語る」第4章「明日の世界」

 

〔人類が霊的法則に目覚め、その指し示す方向へ忠実に生きるようになった時の世界はどういう世界であろうか。

新しい世界は一人の独裁者、一つの政府、あるいは国際連盟のような組織によってコントロールされる性質のものでないことは明らかである。

人間各個による努力の結果として誕生するものであろう。

その時の喜びがいかなるものであるか、それをシルバーバーチに語ってもらおう〕

 

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。

何事につけ誕生には苦しみが伴うものです。

新しい秩序の誕生にも大きな苦しみが伴います。

その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してまいります。

 

しかし間違いなく言えることは、その新しい世界の種子がすでに地上界に根づいているということです。

既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。

エスは「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べております。それがもうすぐ実現しようとしています。

 

これからも地上には幾つもの大変動が生じます。

崩壊もあれば隆盛もあるでしょう。

皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかも知れません。

「大変な時代になった……」そうおっしゃるかも知れません。

しかし、そうした変動の背後には地上世界へ向けての大きなエネルギーの働きがあるのです。

 

こうして地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せていただいております。

それを受け入れる能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。

私が見せていただいた未来像に比べると現在の地上世界がとても醜く見えます。が、私には地上世界はこれほどまで立派になり得るのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。

あとは“時間”の問題です。

それを早めるのも遅らせるのも人類の自覚一つに掛かっております。

 

そのうち、政治も宗教も科学も学問もある一つのものの側面に過ぎないことが理解できる、新しい人類が現れるでしょう。

その人類にとっては痛みも心配も喪の悲しみも不幸もなく、笑顔と明るい笑い声の世界となるでしょう。が、現段階の不幸に満ちた地上世界で最も人徳があるとされる人間は、他人の悲しみを取り除き生活を楽にしてあげられる人です。

それほど不幸な人が多いということです。

これまでの人間は、何か良いものを手に入れると、それを人のために使用せずに独り占めにしようと画策し、結果的には、いずれ崩壊するに決まっているような社会組織を構築しようとしてきました。

なぜなら、その基盤が間違っているからです。

 

大霊からいただいた資質を発達させ、それを人のために役立てる方向で使用するようになれば、永遠なるものを基盤とした社会組織が構築されるでしょう。

私たちが説いていることは決して新しいものではありません。

霊的な視野をもつ人々がずっと説き続けている古くからある真理です。

それを大方の人間がかえりみようとしなかっただけです。

そこで私たちが改めて説き、大霊の摂理というものがあることを指摘する必要が生じたのです。

人類は自らの間違った考えによって地上界を破滅の寸前にまで追いやっております。

 

今こそ人類は大霊とその摂理へ回帰しなくてはいけません。

イヤ、すでに回帰しつつあります。

私の目には、ゆっくりとではありますが、大霊の摂理が地上界に具現しつつあるのが見えます。

 

何よりもまず人類が知らなくてはならないのは、大霊の恩寵はみんなで分け合わなくてはいけないということです。

現在の地上には今日の食べものに事欠く人がいる一方で、有り余るほど貯えている人がいます。

もちろんこれは間違っています。

余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。

別に難しいことではないと思うのですが……

 

また既得権を取り壊す必要があります。

摂理は寸分の狂いもなく働きます。

あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。

あなた方だけではありません。

人間の全てに言えることです。

それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、私は可能だと申し上げます。

それが人間としての正しい生き方だからです。

摂理は完ぺきで、ごまかすことは出来ません。

その摂理を一つでも多く学び、それを実行に移さなくてはいけません。

 

長いあいだ人類は、本当は取り壊すべきものを構築することに自由意志を行使してきました。

その結果として生じた暗闇に、今ゆっくりと大霊の光が射し込みつつあり、混乱と無秩序の中から新しい世界が生まれつつあります。

そこには最早や持つ者と持たざる者といった不平等も不公平も差別もなく、大霊からのたまものが全ての子等に平等に分け与えられるようになることでしょう。

 

その新しい世界をどのような用語で呼んでも構いません。

要するに大霊の意思に適った世界の成就―大霊の霊力はもとより、新しいタイプの喜び、新しいタイプの人生、新しいタイプの幸せを求める誠心誠意の人間の貢献によって、これ以上霊界へ“出来損ない”(死後に地縛霊となってしまうような人間)を送り込まなくなるような世界のことです。

 

時としてその誠心誠意の努力が無駄に終わっているような感じを抱かれることがあるかも知れません。

しかし、そういう時でも、世界中のあらゆる所で、あらゆる人々が、自覚するしないに関係なく、新しい世界の夜明けのために活用されているのです。

大霊は我が子が破滅の道へ向かうのを黙って見ているわけには行かないのです。

私があなた方に援助をお願いするのはそのためです。

そうした努力を“政治”と呼ぶかどうかは、私には関心はありません。

とにかくそうした働きかけは絶え間なく続けられています。

地上界と霊界の協力です。

もはやそれをストップさせることは不可能です。

 

そうした一体の努力で私たちが物質界の到るところで大きな仕事を成就していることを誇りに思っております。

悲しみに暮れていた心が明るくなっております。

地上の暗闇に光が射し込んでおります。

知識が無知を、まだ僅かではありますが、駆逐しております。

生きる意欲を失った人々を勇気づけ、人生に疲れた人々に力を与え、道を見失っている人々に導きを与え、同胞のためにボランティア的に働いている人々には援助を与えると同時に、その背後には、大霊とその子等のための仕事を鼓舞する霊の大軍が控えているとの自覚を植えつけようとしております。

 

また私がうれしく思うのは、皆さんが愛しまた皆さんを愛している霊界の人々をこのサークルにお連れして、その人たちが決してこの宇宙から消えてなくなったわけではないこと、死によって愛と情愛と友愛で結ばれている人々が引き裂かれるどころか相変わらず結ばれ続けていることを、これまで以上に確信させてあげることが出来ていることです。

 

私たちの影響力がどれほど広範囲に広がっているかをお見せできないのが残念です。

地上界と霊界とのこうした結びつきを邪魔している障害を取り壊し、障害物を取り除き、そして知識をもたらすことが出来ております。

人類を霊的に、精神的に、そして身体的にも自由にする、至って単純な真理です。

ご存じのように私たちはただお役に立てば、それだけで満足なのです。

無償の献身を通してのみ、地球人類は救われるのです。

サービスです。

 

ここで改めて申し上げておきたいのは、私がただの道具に過ぎないということです。

真理、単純な霊的真理、あなた方人間も全生命の源である大霊の一部であるとの認識を植えつけてあげたいと望んでいる大きな霊団の一人に過ぎないということです。

大霊はあなた方の内部にあるのです。

神性という遺産を引き継いでおり、その潜在的神性が宿されているからこそ大霊の恩寵にあずかる資格があるということ、さらに、それ故にこそその神性を妨げる障害物や慣習を廃絶しなければならないのです。

私たちの仕事は魂と精神の自由だけを目的としているのではありません。

物的身体も病という束縛から解放してあげることが目的の一つです。

 

そういう仕事に私たちは献身してきたのです。

それが私たちのいうサービスです。

私はあくまでも道具の一つに過ぎませんが、私を通して人類に役立つ真理が届けられることを光栄に思っております。

皆さんとともにその仕事に携わってきて何年かになりますが、これからもまだまだ続きます。

地上界の皆さんと霊界の私たちの連帯によって、今こそ地球人類が必要としているものをお届けしてまいります。

あなた方はすでに知識をお持ちです。

霊的真理を手にされています。

そして、そうした霊的知識には、それをさらに価値あることのために使用する義務が伴うことを忘れないでください。

 

あなた方の説く真理が疑いを差しはさまれた時は、それには神性のスタンプが押されていること、そして又、その理由は私たちが常に人間の理性に訴えていることを思い出してください。

言い変えれば、私たちがお届けするメッセージが、あなた方の品位を落とさせたり知性を侮辱したり、サービスと善性と誠実さの道に背を向けさせるような要素はみじんもないということです。

それどころか、人間に内在する神性を認識させ、大霊とのつながりを自覚させることによって、その神性があなた方の日常の行為の全てを律するようにと願っているのです。

 

霊的真理を常に意識している人たちが一致団結して、物質界に立ち込めている無知の霧を晴らすためにその力を使用すれば、どれほど大きな仕事が出来ることでしょう。

善性と有用性とサービスの勢力は常にあなた方の味方であることを自覚して、自信をもって前進してください。

 

我々の前途にはサービスの分野がいくらでも広がっております。

多くの人がお座なりの説教を捨て、古い信仰を信じず、理性的懐疑に耐え得る真理を求めながらも、いずこへ向かえばそれが得られるか、迷いに迷っております。

そういう人々にこそ霊的真理と霊的摂理をお届けするのです。

内部に宿る霊的資質に気づかせ、自分も神であるということはどういうことなのかを理解させ、憎悪の復讐心に燃える神の前にひれ伏すような卑屈な信仰心を永久に捨て去るように指導してあげることです。

 

要するに私たちは、大霊の子等のために役立ちたいと願う地上の有志との協調関係を求めている霊的勢力の存在を認識していただき、霊的真理を武器として迷信の全て、暗黒の霧の全てと闘い、霊的真理の光で地上界を照らしていただきたいのです。

それが私たちの仕事なのです。

私たち地球浄化の大軍には霊力という武器があります。地上界の有志を鼓舞し、導き、心の支えとなり、飢えた魂に心の糧を与え、病に苦しむ人々に癒しを与え、全ての人にインスピレーションと啓示と叡智をもたらすことが出来ます。

 

人間の側に理解力と受容力がそなわれば、その能力に応じて霊力で満たしてあげることが出来ます。

教会に属していようといまいと、どこかの宗教に属していようといまいと、科学者であろうと唯物論者であろうと哲学者であろうと、そうしたラベルにはお構いなく、受け入れる能力のそなわった人を一人でも多く見出して協力者に仕立てて行く用意があります。

 

  

https://spiritualism-books.jp/sb-teachings/

 

 

 

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