「菊理媛命」

明日から、あじさいまつりが始まる白山神社ですが、 その主祭神は、   菊理媛命(ククリヒメノミコト)   伊弉諾命(イザナギノミコト)   伊弉冉命イザナミノミコト) です。 最初に書かれている菊理媛命は、古事記には登場せず日本書紀に1箇所だけ 出てくる神様。 【原文】  及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。  時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、  不可共去。 是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。 【解釈文】  その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が  言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。  このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からの  お言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、  生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には  還れません』とおっしゃっております」と。  このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きに  なり、 ほめられた。そして、その場を去られた。  神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、  伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。  しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、そこで伊弉冉尊と口論になる。  そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」  と言い、菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒め、帰って行った、とある。  菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。  この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの  神とされている。  また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン  (巫女)の女神ではないかとも言われている。  ケガレを払う神格ともされる。  神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことから  の神名と考えられる。  他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜り」の意で水神であると  する説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。  なお、神代文字で記されているとされる『秀真伝』には、菊理媛神天照大御神の  伯母であるとともにその養育係であり、また万事をくくる(まとめる)神だと記されて  いる。 以上、ウィキペディアからの転載。 ククリヒメ様は天照大御神の伯母&養育係で、万事をまとめる神ですから、 とってもありがたい神様なのです。 私も、事ある毎に助けていただいております。 余談です。 私は北海道の厚田村(現在は石狩市の一部)というところの出身ですが、 ご先祖様は明治28年に淡路島の三原郡榎列村(みはらぐんえなみむら) というところ(現在の南あわじ市の一部)から、北海道に入植しました。 淡路島と言えば、古事記において伊弉諾命と伊弉冉命が日本を生み始めたときに、 三度目で、初めて完全な形で生むことが出来た場所です。(一人目の水蛙子、 二人目の淡島は完全なかたちとは言えませんでした。) 淡路島には伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)という、神代創建(日本書紀古事記 による)の日本最古と言われる神社があります。 こちらの主祭神は、   伊弉諾命(イザナギノミコト)   伊弉冉命イザナミノミコト) です。 さらに私のご先祖さまが住んでいた地域には、自凝島神社(おのころじま じんじゃ)という神社があります。 古事記においては、伊弉諾命と伊弉冉命は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、 天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜ、このときに矛から滴り落ちたものが 積もって自凝島{淤能碁呂島、磤馭慮島(おのごろじま)}となり、二神は 自凝島に降りて結婚し、そこで国生みを始めたとなっています。 この自凝島の場所に関しては諸説ありますが、自凝島神社周辺もその 候補地の一つです。 ちなみに、自凝島神社の祭神も   菊理媛命(ククリヒメノミコト)   伊弉諾命(イザナギノミコト)   伊弉冉命イザナミノミコト) なのです。 やはりこの白山という地には、なにか縁を感じます。 私はまだ淡路島に行ったことが無いので、そのうち淡路島のご先祖様が住んで いた土地と、伊弉諾神宮、自凝島神社への参拝に行きたいと思っています。                                    白山オステオパシー院長