「インド訪問記(10)完」

3月20日(水)

 

インド最終日。

本日は午前中はフリー、12時にホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせをして、ダクシナチトラ(Dakshinachitra)、ヴィヴェーカーナンダハウス、マリーナビーチ等に行き、0:20発のマレーシア航空MH070便でチェンナイ空港を発つ予定。

 

午前中はホテルの周囲を少し散歩します。

道路脇にはあちらこちらに屋台があり、多くの人達が屋台で朝食を食べていました。皆さん、立ったまま南インドスタイルの食事を手で食べていましたが、食べ終わった後の手はどこで洗っているのでしょう?

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歩道では、スイカが沢山売られていました。

北インドでは、日本と同じようにスイカの時期は3月~9月頃だそうですが、1年を通して暑い南インドでは、1年中スイカが収穫できるそうです。

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チェンナイでも、街角にはヒンドゥーの神様が祀られていました。

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お昼過ぎにガイドさんがホテルに私をに迎えに来て出発。

私一人にガイドさんとドライバーさん、なかなか贅沢な最終日です。

 

最初の目的地ダクシナチトラ(Dakshina Chitra)に向けて走ります。

途中にはキリスト教の教会や、イスラム教のモスクなどもありました。やはりチェンナイくらいの大きな町になると、ヒンドゥー教徒以外の人達も一定数いるのでしょう。

 

キリスト教の教会。

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イスラム教のモスク。

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チェンナイ市内の高層マンション群。

道路沿いは、かなりゴミが多いです。

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最初の目的地、ダクシナチトラ(Dakshinachitra)に到着します。

 

ダクシナチトラ(Dakshinachitra)

ダクシナチトラはタミールナドゥ州、アンドラプラデシュ州、カルナータカ州、ケララ州の南インド4州の文化を学ぶことができる文化村のような施設です。それぞれの地域の特徴的な家屋を敷地内に移設しており、実際に中に入って見学することができます。建物内部は資料館になっており、生活様式から芸術まで幅広く知ることができます。

 

ダクシナチトラ入り口。

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レセプションとガイドさん。

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料金はインド人大人110ルピー、外国人大人250ルピー(約400円)。

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エントランス横。

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案内板。

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ここからは、分かるもののみ説明を書いていきます。

 

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生地を染めるための木版。

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牛に引かせる鋤。

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地元の子供達も見学に来ていました。

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カーマクシ アンマン寺院の外にあった山車と同じような山車を引いている写真がありました。

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ターバン。

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インドというとなんとなくターバンのイメージがありますが、インドでターバンを巻くのはシク(シーク)教徒のみで、現在ではシク教徒でも敬虔な人以外は巻かない人が多いそうです。今回の旅行中もターバンを巻いた人には会いませんでした。

 

 ケララ州の伝統的な家(1875年)、木造、瓦葺きで日本家屋に似ています。木材はジャックフルーツパルミラ

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伝統的なアーユルヴェーダのスタイル、現在も男性の施術は男性のみ、女性の施術は女性のみ。

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カンチプラムで見たものよりも更に古そうな織機。

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少し遅めの昼食は、施設内のレストランで食べることにします。

この場所は海に近いため、魚を使ったSouth Indian Mealsを注文します。

 

レストラン。

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South Indian Meals Fish(200ルピー)

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料理が届き食べ始めてから、私があることに気づきます。

私のものはご飯がそのままお盆に盛ってありますが、ガイドさんの方はご飯が金属の器に入った状態で中心に置いてあります。

どうやら、持ってきたお姉さんが間違えて逆に置いていったようです。

ガイドさんがスプーンで食べているのに私一人が手を使って食べるのもなんだな~、と思いスプーンで食べましたが、はっきり言って平らなお盆の上に盛られた状態のご飯をスプーンで食べるのは、非常に食べにくいです。

最後は本当に手を使って食べたくなりました。

 

South Indian Mealsのあとにデザートを注文しましたが、名前を忘れてしまいました。検索したところ、おそらくファルーダという食べ物ではないかと思います。

 

ファルーダ?

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アジアで食べるデザートはやたらと甘いことが多いのですが、こちらもご多分に漏れずかなりの甘さでした。

 

 

食事を終え、ダクシナチトラ(Dakshinachitra)をあとにします。

 

こちらはダクシナチトラのサイト

https://www.dakshinachitra.net/

 

 

 次の目的地はヴィヴェーカーナンダハウス。

 

まずは、私の尊敬するヴィヴェーカーナンダについて、簡単に説明。

 

ヴィヴェーカーナンダ(Vivekananda)

本名:ナレーンドラナート・ダッタ(1863年1月12日~1902年7月4日)、ラーマクリシュナの後継者であり、ラーマクリシュナ僧院とラーマクリシュナミッションの創設者。彼は1893年にアメリカ・シカゴで開催された万国宗教会議にヒンドゥー教の代表として参加する。彼は原稿を用意せずに演説をおこない、その高度な英語力と魅力的な語り口による「普遍宗教」の演説は熱狂的な歓迎を受けた。

その後、ヨーロッパ各国、アメリカなど4年に及ぶ外遊と講義をおこない1897年にインドに帰国する。

帰国した際に彼が滞在したのが、今回訪問したヴィヴェーカーナンダハウスである。

彼はバガヴァットギーターやヨーガ学派の思想を再編成し、ヴェーダンタを再解釈し、単純化、近代化してヨーガの名によって説いた。

彼は人間を4つの類型に分類し、それぞれにふさわしい4つのヨーガがあるとした。

それらはカルマ・ヨーガ(実践の道)、ラージャ・ヨーガ(心身統一の道)、バクティ・ヨーガ(信愛の道)、ギャーナ・ヨーガ(智慧の道)である。

これらのヨーガについての欧米での講演は、それぞれが1冊の本としてまとめられている。彼は講演の際に一切原稿を書かずに演説をおこなったため、書籍化は講演内容の記録、記録の編集作業など多くの人達の献身的な作業により実現した。

 

4つのヨーガ。

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最もページ数の少ないバクティ・ヨーガで189ページ、最もページ数の多いギャーナ・ヨーガで347ページ。これらはヴィヴェーカーナンダの講演の速記録を文字にしたものですが、彼はどの講演も事前に原稿をいっさい書かずに話していました。その内容の深さ、理解しやすさを考えると彼がいかに卓越した語り手であったのかが分かります。彼は解脱に到達したヨギについて語るとき、そこに至っていない者達を聴衆と自分を含めて「私たち」という言い方をしますが、その講演録を読むと彼もまたそこに到達していたのではないかと思えてきます。

ちなみに私にはカルマ・ヨーガ(実践の道)とバクティ・ヨーガ(信愛の道)が向いているように感じます。

 

こちらはウィキペディアのヴィヴェーカーナンダのページ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%80

 

 

次にヴィヴェーカーナンダハウスについて。

  

ヴィヴェーカーナンダハウス(Vivekananda House、Vivekanandar Illam)

この建物は1842年にアメリカの氷商人フレデリック・チューダーにより、海外から運ばれた氷の貯蔵施設として建てられたもので、当時はIce Houseと呼ばれていた。その後、製氷技術の発明によりチューダーの事業は立ちゆかなくなり、建物はマドラス高等裁判所の支持者であるBiligiri Iyengerにより購入される。彼は建物をCastle Kernanと名付け、住居に合うように建物の古いフレームに円形のベランダを付けるなどの改築をしたが、換気が不十分なため住宅としては使用できなかった。

スワミ ヴィヴェーカーナンダは1897年2月にヨーロッパ外遊から帰国した際、壮大な行列とともに駅からCastle Kernanに迎えられ、10日間の滞在中に7回の講演をおこなう。その後この建物は政府に買い取られ、幾たびかの変遷を経てヴィヴェーカーナンダがマドラス(チェンナイ)を訪問してから100年後の1997年2月、タミール・ナドゥ州政府は建物と隣接する土地の一部をスワミ・ヴィヴェーカーナンダに関する資料を常設展示する施設とする。

 

ウィキペディア英語版

https://en.wikipedia.org/wiki/Vivekanandar_Illam

 

ヴィヴェーカーナンダハウスのサイト

https://vivekanandahouse.org/

 

 

ではヴィヴェーカーナンダハウスの外観の写真を何枚か。

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館内に入ると1階は、古代インドの叙事詩、神話などを絵画にしたものを展示しています。展示室は写真撮影禁止のため、ここから下の写真はヴィヴェーカーナンダハウスのサイトにあった写真を拝借しました。

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2階はヴィヴェーカーナンダの少年時代のことや、彼の言葉をパネルにしたものを展示しています。私があまりにもじっくりとパネルを読んでいるため、ガイドさんは先に行きますねと先に上の階に行ってしまいました。

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3階はフォトギャラリーと3D映写室、メディテーションルーム(瞑想室)。

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フォトギャラリーを見た後、3D映写室に行くとヴィヴェーカーナンダの映画の上映中だったので、先にメディテーションルーム(瞑想室)に入ります。正面にヴィヴェーカーナンダの写真があり私が入った時には他には誰もおらず、今回のインドの中で最も心を静めることができた場所でした。このメディテーションルームはおすすめです。

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その後、前回の映画の上映が終わり他の観客とともに出てきたガイドさんに「どうだった?」と聞くと、「タミール語なので何を言ってるのか全然わからなかった。」ということでした(ガイドさんは北インド出身でタミール語を理解できません)。

たとえ理解できなくても映像でなんとなく分かるだろうと、スタッフに自分も映画を見たいと言うと今回の観客は私一人。しかも私のために英語バージョンにしてくれたので、タミール語よりは理解できたと思います。

 

こちらは映画のトレーラー 


The Awakening 3D Movie Trailer : 150th Birth Anniversary Celebrations of Swami Vivekananda

 

ヴィヴェーカーナンダ シカゴスピーチ フルバージョン(1893年9月11日)


Original Speech - Swami Vivekananda Chicago Speech In Hindi Original | Full Lenght | Uncut Speech

 

 

映画を見た後は売店に行き、ここでしか手に入らない品をゲット。

 

 

ヴィヴェーカーナンダハウスはインドでも有名なビーチ、マリーナビーチの正面にあるのでそのままマリーナビーチへと向かいます。

 

マリーナビーチ

マリーナビーチはチェンナイにあるベンガル湾に面するビーチ。全長13kmで世界で2番目に長いビーチと言われている。ビーチの平均幅は300m、最も広いところで437m、インドで最も混雑しているビーチの一つで平日で1日約3万人、休日には1日約5万人の人が訪れる。

 

 

ヴィヴェーカーナンダハウスの前にある道路を渡りビーチに行こうとしますが、道路から海辺までがやたらと遠い!

しかし、せっかく来たのだからとガイドさんと海辺まで歩いていきます。夕暮れ時のひろ~い砂浜には、カップル、家族連れなど多くの人達が思い思いに楽しんでいました。インドは日中は暑すぎるので、地元の皆さんは日が傾き少し涼しくなってからビーチに来るそうです。

この日はちょうど満月で、時間的に海の上には満月、反対側には夕陽と素晴らしいタイミングでした。

 

広くて長いマリーナビーチ

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マリーナビーチと満月

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後ろを振り返ると沈む夕陽

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夕暮れ時のヴィヴェーカーナンダハウス。

荘厳です。

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このあと、ガイドさんがお茶をおごってくれました。ひげのおじさんが淹れてくれたジンジャーミルクティーは甘くてスパイシーで美味しかったです。

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マリーナビーチをあとにして、車はチェンナイ空港へと向かいます。

この日の翌日からインドではホーリー祭というお祭りがおこなわれる予定。

 

ホーリー祭(ウィキペディア

春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗り合ったり色水を掛け合ったりして祝う。

ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りであったが、その後クリシュナ伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって、現在まられる形になった。ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール地方の伝承でこの日に人家に押し入ってくるビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされる。そのため黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴すると言われている。色水は色粉を水に混ぜて作る。

 

 

こちらがホーリー祭。


Holi, India's EPIC Color Festival - Vrindivan, India

 

 

ホーリー祭は北インドが主で、南インドではおこなわれないそうです。

ガイドさんはブッダガヤ出身ですが、チェンナイからブッダガヤへの直行便が無いため、直行便のあるお母さんの地元コルカタ(旧カルカッタ)でお祭りを祝う予定だそうです。

チェンナイ空港国際線の前で、インド滞在中にお世話になったガイドさん、ドライバーさんとお別れします。ガイドさんは隣にある国内線に向かい、ホーリー祭を楽しむためにコルカタへ。

 

私はここからマレーシア航空でクアラルンプールに向かい、クアラルンプールから成田へ。

成田行きの便に乗ると、私の席は非常口横に2席あるうちの窓側の席。

席の前は広く、さらに私の隣の通路側の席も空いている様子。

これはゆったり出来てラッキーかと思いきや・・・、離陸の段階になり私の正面にはこちら向きでCAのお姉さん2人がCA用の席に座り、更に私の隣の通路側の席にもCAのお姉さんが。

結局私の周囲を3人のきれいなCAのお姉さんに囲まれる形となってしまいました。

社交的で英語が堪能な男性ならば最高のシチュエーションかもしれませんが、社交性、英語力ともに乏しい身としては、まったくくつろぐことができません。

それにしても他に空席があるというのに、チェックインカウンターのお兄さんはなぜ私をこの席に座らせたのでしょう?不審者に見えたので監視のため?

着陸の際も離陸と同様にきれいなCAさん達に囲まれましたが、今度は隣に座ったお姉さんが「成田からどこに行くの?」とか「東京の桜はもう咲いた?」と話しかけてきてくれたので、多少は間が持ちました。

非常口横の席も、私のような人間にとっては善し悪しですね。

 

飛行機は無事に成田に到着。

 

出発前は「インドに行ってくる。」と言うと、いろいろな人達に治安面だとか衛生面だとかをさんざん脅かされていましたが、治安面は特に問題なし、胃腸の調子も快調でこれといったトラブルはありませんでした。

 

今回は南インドの旅でしたが、広い国ということもあり地域によってかなり文化的な違いがあるようなので、いつかは北インドも旅してみたいですね。

 

では最後にラマナ・マハリシとヴィヴェーカーナンダの言葉を一つづつ。

この二人は同じインド人でも「沈黙の聖者」と「雄弁な語り手」と、ある意味対照的な二人ですが、どちらもこの世界に多大な影響を与えました。

 

 まずはマハリシに対する弟子の問いとその答え。

 

弟子:

なぜバガヴァン(マハリシの呼称)は外へ出かけて行き、声高く人々に真理を述べないのでしょうか?

 

マハリシ

私がそうしていないと、どうしてあなたは知っているのかね。

ずっと演壇に登りつづけ、まわりの人々に熱弁をふるって説いているではないか。

法を説くということは、知識をただ伝えるということであり、それは本当に沈黙によってのみなされうるものである。

1時間ばかり説教を聞き、生き方を変えるほどの印象を受けることなく去ってゆく人を、あなたはどう思うかね。

それに比べると、聖なる現前の座に加わり、しばらくしてその座を立ち去る人の表情は、すっかり変わってしまっているのを見ないのかね。

何の効果もなく大声でしゃべるのと、内なる力を送りながら静かに座っているのと、どちらがいいか。

 

 「ラマナ・マハリシの教え」より。

 

 

 

では次にヴィヴェーカーナンダの講演の一部を。こちらは1896年10月27日、ロンドンでの講演からの抜粋。

 

 

幸福には栄光があります。

不幸には栄光があります。

あえて言うなら、悪にも効用があるのです。

不幸が与える大きな教訓を、われわれは皆、知っているでしょう。

われわれはこの生涯で、しなければよかった、と思うことをたくさんしてきました。

しかしそれらは同時に、偉大な教師だったのです。

自分のことを話せば、私は自分が何らかの良いことを、そしてたくさんの悪いことをしてきたのを、よろこんでいます。

何か正しいことをし、多くの間違いをおかしてきたことを、よろこんでいます。

なぜならそれらの一つ一つが大きな教訓となっているからです。

いまあるような私は、私がおこなった全てのこと、私が思った全てのことの結果です。

あらゆる行為と思いがその結果をもたらしており、これらの結果が私の進歩の総計なのです。

われわれは皆、欲望はわるい、ということを理解しています。

しかし、欲望を捨てる、とはどういうことなのですか。

どうして生きていくことができますか。

欲望をころし、人もころすという、それは同じ自殺的な助言でしょう。

答えはつぎの通りです。

ものを持つな、というのではありません。

必要なものをもつなというのではないし、ぜいたくなものさえ、持つなというのではありません。

欲しいものは全部お持ちなさい、もっとお持ちなさい、ただ、真理を知ってそれを理解なさい。

富は誰のものでもないのです。

経営者、所有者の観念をいだいてはいけません。

私は何者でもない、他の誰彼も何者でもありません。

全てのものは主のものです。

あのはじめの一節が、いっさいの中に主をおけ、とわれわれに告げたのですから。

神はあなたが持っている富の中におられる。

彼はあなたの心の中におこる欲望の中におられる、彼はあなたが買って自分の欲望を満足させる品物の中におられる、彼はあなたの美しい衣装の中に、美しい装身具の中におられる、このように考えるのです。

この光でものを見るようにするやいなや、全てが変容するでしょう。

あなたがもしあなたの活動の中に、あなたの会話の中に、あなたの形の中に神をおくなら、全体の光景がかわり、この世界は、かなしみと不幸の世界と見えていたものが天国になるでしょう。

 

 「ギャーナ・ヨーガ(知識のヨーガ)」より。

 

 

 

 

 

インド訪問記  完

 

 

 

 

 

 



 



 

 

 

 

 

 

「インド訪問記(9)」

3月19日(火)

 

本日はカンチプラムからチェンナイへと移動。

移動中にガイドさんにインドのことをいろいろと教えていただきました。

インドを車で走っていると、トラック荷台の後部などに「SOUND HORN」と書かれているのをよく見かけます。

この「SOUND HORN」の意味が気になっていたので聞いてみると、「(トラックなどの大型の車は、乗用車よりも一般的に速度が遅いので)後ろから追い越す際にはクラクションを鳴らしてください。」ということなのだそうです。

追い越しをする前にクラクションを鳴らすことにより、トラックドライバーに「これから追い越しますよ」と後ろの車が知らせ、追い越し時の事故を防ぐということです。

その事を聞いてから私たちの車のドライバーを見ていると、確かにむやみにクラクションを鳴らしているわけではなく、追い越しの際に注意を促すために鳴らしているということが分かりました。

一見、無秩序に鳴らしているように見えるインドのクラクションにも、きちんとした意味があったのですね。

 

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自動車に関しては、やはりインドも経済成長とともに自動車の保有率が上昇し、中には2台、3台と持つ人もいるということです。

そのため年々道路の渋滞がひどくなっており、ニューデリーなどは、以前は日曜日はそれほど渋滞がひどくなかったが、現在では曜日に関係なく常に渋滞しており、通勤するには出社時間の2時間以上前に家を出なければならない人も珍しくないそうです。

そんなに混んでいるなら電車を利用した方が良いのでは?と聞いたところ、電車もメチャメチャ混んでいるので、「どちらを選んでも大変。」と言っていました。なんと言っても日本の10倍以上の人口ですからね~。

ちなみにインドの国産車TATAは、安い車種ならば新車で20万円くらいで買えるので、これならば月収2万円の人でも手が届きますね。

 

こちらがTATAの自動車。

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ちなみにオート3輪もたくさん走っています。オートリキシャ、あるいはリキシャという呼び名がインドでは一般的なようですが、トゥクトゥクと呼ぶ人もいました。インド国内でも、地方によって呼び方が変わるようです。以前に行ったスリランカではスリーホイールと呼んでいました。

  

 

次にカディについて聞いてみました。

カディとは、手紡ぎ、手織りの生地のことを言い、アシュラムなどでは多くの人達がカディを着ています。

ちなみに綿素材はカディ・コットン、絹はカディ・シルクと言いますが、一般的に単にカディというと、カディ・コットンのことを指します。

なぜアシュラムなどではカディを着る人が多いのか聞いてみると、「カディは現代のインド人のアイデンティティの象徴」なのだそうです。

カディについて説明したサイトがありましたので、転載させていただきます。

「カディとは」

カディとは、手紡ぎ手織りの完全なる手作り生地。

手紡ぎ手織りのカディは、インド独立運動と非常に深い関係があり、自由への闘争の象徴でもあります。

インド独立の父、マハトマ・ガンジーはこう書いている。
スワデシ(国産品)の無いスワラジ(独立)は、生命の無いただの屍に過ぎない。

そしてスワデシがスワラジの魂であるならば、カディこそがスワデシの根幹だ。

カディを身につけるというのは、インドとその人々の自立を目標としていた。
インドが独立するためには、自国の産業を確立する必要があったのだ。 

また、カディの生地は、インドが独立を勝ち取るために必要な「団結」を意味する制服でもあった。 

ガンジーはカディという象徴的なものを人々が身に纏う事により、団結力が強まる事を願っていた。

1921年ガンジーが 「自分達が纏う衣服のための糸を自らの手で紡ごう」という運動を起こした。

その運動は、大きなうねりとなって様々な意味を帯びて独立運動に勢いを与えていった。

カディ生地の糸紡ぎ機・チャルカーは、短期間のうちにインド中に広まり、定着して行きました。

このことにより、仕事の無かった何十万人もの人達が雇用の機会に恵まれることになったのです。

カディは革命と反抗のシンボルとしてだけではなく、インド人としての帰属意識の一部となりました。 

当時、イギリスに対する反逆罪で囚われの身になっていた、ジャワハル・ラール・ネルー(独立後初の首相)が、娘のインディラ・ガンディー(第三代首相)の結婚式の衣装にと、獄中で自ら薄紅色のカディ・サリーを織り上げた。

この薄紅色のカディ・サリーは、今でもネルー・ガンディー家の結婚式では、花嫁が必ず身に纏う。

この出来事が理由で、インドの人々がカディというものをより深く、心から愛するようになった。

 

転載元のサイトはこちら↓

http://www.teentaal.nu/corner/about_khadi.html 

 

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ニューデリーにはその名も「カディ」というカディ専門店があり、毎年10月2日のマハトマ・ガンジーの誕生日には、全製品が半額で買えるそうです。

カディ好きな方は、この時期を狙ってインドに行ってみてはいかがでしょう?

 

ガイドさんといろいろと話しているうちに車はチェンナイ空港に到着します。

この日はONさんがマドゥライにあるヨガのアシュラムに向かう日だったので、ここでONさんとはお別れし、残るは私、ガイドさん、ドライバーさんの3人。

ONさんと別れたあと、パルタサラティ寺院(Parthasarathy Tenmple)に行きます。

 

 パルタサラティ寺院(Parthasarathy Tenmple)

 チェンナイにあるヒンドゥー寺院。8世紀にパッラヴァ朝により建造され、16世紀にヴィジャヤナガル王国によって改修される。ヴィシュヌ神の化身とされるクリシュナ神を祀る。

 

クリシュナ(ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A

 

クリシュナと言えば、エドガー・ケイシーがこの地球上にある全ての書物の中で最も宇宙の真理に近いものと言った「バガヴァットギーター」において、アルジュナの導き手となった存在です。

血族同士の戦いを前に、

 

血縁の人々を殺して

いったい何の益があるのでしょうか

わが愛するクリシュナよ

私は勝利も領土も幸福も欲しくない

 

と問うアルジュナに対して、「行為の結果に執着すること無く己の義務を遂行せよ。」とクリシュナは説きます。

 

では、バガヴァットギーターからクリシュナの言葉をいくつか。

 

私も 君も ここにいる全ての人々も

かつて存在しなかったことはなく

将来 存在しなくなることもない

始めなく終わりなく永遠に存在しているのだ

 

アルジュナよ 義務を忠実に行え

そして 成功と失敗を等しいものと見て

あらゆる執着を捨てよ

このような心の平静をヨーガというのだ

 

善を見て愛慕せず

悪を見て嫌悪せず

好悪の感情を超えた人は

完全な智識を得たのである

 

バガヴァットギーターは最初は読み進むことが非常に困難ですが、 繰り返し読むと、少しづつ少しづつその意味を理解できるようになると感じています。

現在、私の蔵書には4種類のバガヴァットギーターの日本語訳がありますが、今回使わせていただいたのは、その中で一番読みやすいと思われる田中 嫺玉さんの翻訳版です。

私がこれまでに読んだバガヴァットギーターの日本語訳の中で最も素晴らしいと思ったものは他の訳者のものですが、こちらは現在のところ出版されておらず、私が読みたいと思った時に読める状況にはないため、いつの日か出版されることを願っています。

 

 

クリシュナはヒンドゥーの神々の中でも最も愛されている神で、特に北インドではクリシュナを祀るヒンドゥー寺院が非常に多いということです。

クリシュナは愛の神としても知られ、ハンサムで、武勇に優れ、知力もあり、彼が横笛を吹くと、どんな女性でもたちまち恋の虜になってしまうそうです。

彼には1万6千人の妻と、18万人の子供がいたと言われています。

こういったところは、いかにもヒンドゥーの神様っぽいですよね。 

 

 

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この日はこちらの寺院でもお祭りをおこなっており、日本の神輿と同じように周辺の各地域から来た山車が列を作って引かれていました。

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寺院の近くの通りにはこんなポスターも。

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その後チェンナイ市内のホテルに向かい、この日はここでガイドさん達ともお別れして私一人での行動となりました。

部屋で少し休んでからスマホでホテルの周囲に何か無いかと探してみると、近くにPondy Bazarというお店が建ち並ぶエリアがあったので、行ってみることに。

ホテルのフロントのお兄さんに距離を聞いてみると、徒歩で10分、リキシャなら50ルピーということで、リキシャで行くことにします。

ホテルの前でリキシャを呼んでもらい乗り込みます。

 

こちらがPondy Bazar↓

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Pondy Bazarを歩いていくと、ラーマクリシュナ ミッションが運営する学校がありました。ラーマクリシュナもラマナ・マハリシとともに、インドでは有名な聖者です。ラーマクリシュナの言行録としては「コタムリト(不滅の言葉)」があります。

 

SRI RAMAKRISHNA MISSION HIGHER SECONDARY SCHOOL

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ラーマクリシュナの弟子の中でも傑出した弟子のヴィヴェーカーナンダと彼の言葉。ヴィヴェーカーナンダがラーマクリシュナミッションの創設者。

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WE WANT THAT EDUCATION BY WHICH CHARACTER IS FORMED,

STRENGTH OF MIND IS INCREASED,

THE INTELLECT IS EXPANDED,

AND BY WHICH ONE CAN STAND ON ONE'S OWN FEET.

 

我々が目指す教育とは、

人格の形成、

精神力の強化、

知性の拡大、

そして各々が自らの足で立つことが出来るように

することである。

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

「インド訪問記(8)」

3月18日(月) 

本日も快晴。

 

朝のメインストリート、珍しく空いていました。

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まずはヒンドゥーの寺院巡り。

最初に行ったのはバラダラジャ ペルーマル寺院(Varadaraja Perumal Temple)。

 

バラダラジャ ペルーマル寺院(Varadaraja Perumal Temple)

11世紀にコーラ王により建造されたヴィシュヌ神を祀るヒンドゥー寺院。その後14世紀には壁、ゴープラ等が増築される。約9.3ヘクタールの敷地内に32の寺院があり、正門のゴープラは約40メートル。

 

 

この寺院は、ヴィシュヌ神を祀る寺院なので正門の外でヴィシュヌ神の好きなトゥルシーの葉、そして全ての神様が好きなジャスミンの花を購入。

 

お供え用のトゥルシーの葉とジャスミンの花(各20ルピー)

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正門にはマンゴーの葉。

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有名な百柱ホールの彫刻。

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境内にあるマンゴーの木の枝には、様々なものが吊されていました。願い事が叶うようにと自分の持ち物を木に吊すのだそうです。

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次に向かったのはカーマクシ アンマン寺院(Kamakshi Amman Temple)。


カーマクシ アンマン寺院(Kamakshi Amman Temple)

パッラヴァ朝(3世紀~9世紀)により建造された女神カーマクシを祀った寺院。カーマクシはパールバティーの別名で「目を覚ましている彼女、美しい目をしている彼女」という意味。ヒンドゥーの神は多くの名を持っていることがあり、パールバティーには他にもドゥルガー、カーリー、ウーマなどの別名がある。カンチプラムには数百のヒンドゥー寺院があるが女神を祀った寺院は、唯一このカーマクシ アンマン寺院のみ。


正門のゴープラ。

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この日は膝下までの少し短めのズボンを履いていたのですが、正門のところでおじさんに「そのズボンで入っちゃダメ。」と言われてしまいます。(先ほどのバラダラジャ ペルーマル寺院では問題なく入ることが出来たのですが、やはり女神を祀る寺院だからでしょうか?)

どうすれば入ることが出来るかを聞くと、レンタル用のドーティ(男性用の腰巻き)を出してくれました。これを腰に巻けば寺院内に入っても良いそうです。インドにはルンギーという男性用腰巻きもありますが、両者の違いは基本的にはルンギーは作業服&普段着、ドーティは寺院に参拝するときのものだそうです。 

パプアニューギニアに住んでいた頃は、現地ではラップラップを呼ばれる腰巻きを家にいるときは巻いていました。暑い地方ではズボンよりも涼しくて、はるかに快適なんですよね。

 

正門でおじさんが私の腰に巻いてくれたドーティ。

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ホールでは僧侶達がプージャをおこなっていました。

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この寺院も当然ヒンドゥー教徒ではない私たちは本堂には入ることが出来ないので、ガイドさんに代表して参拝してもらうことに。

その間に、境内を回ります。

ヒンドゥー寺院は境内では靴を脱ぎ裸足になりますが、この日も快晴でしかも地面は全て石が敷いてあるために、とにかく足の裏が熱い!出来るだけ日陰を探して歩くようにします。

 

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境内を1周したあとあまりにも暑いので、本堂の近くの木陰で休んでいるとガイドさんが出てきました。

本堂の入り口はかなりの混みようだったので意外と早く出てきたなと思いきや、なかなか列が進まないので途中で引き返してきたそうです。

インドの寺院は時間や曜日に関係なく、とにかくいつも混んでいるイメージです。

ちなみにヒンドゥーでは神々と惑星のエネルギーの関連などから、曜日毎に祈りを捧げる神様が違うそうです。例えばシヴァ神は月曜日なのでシヴァ神を祀る寺院は月曜日に行くといつも以上に多くの人が参拝に訪れているということになります。

代表的な神様と曜日。

 

月曜日:シヴァ

火曜日:ハヌマーンガネーシャ、カールッティケーヤ、カーリー、バガラームキー

水曜日:ガネーシャ、ヴィシュヌ

木曜日:ヴィシュヌ、クベーラ

金曜日:サントーシー、ラクシュミードゥルガー

土曜日:シャニデヴ、カーリー

日曜日:スーリヤ、ナヴァグラハ、ガーヤトリー

  

 

寺院の外にはお祭り用の山車が置いてありました。昨日の寺院と同様にこちらもお祭りだったので、昨夜はこの山車を大勢の人で引っ張って町を練り歩いたのだそうです。

残念ながら山車を引くところを見ることは出来ませんでしたが、機会があればいつか見てみたいですね。

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寺院のあとは、昨日ONさんと行ったベジ・レストラン「SARAVAVABHAVAN」に昼食を食べに行きます。

昨日はK家2名とガイドさんも私たちのあとに行ったそうですが、あまりの混みようで入るのを断念したそうです。

そこで、本日は再チャレンジということになりました。

この日は市内にあるもう一軒のSARAVAVABHAVANへ。

無事に入ることが出来、この日も私はスプーンを使わずにガイドさんと一緒に右手でいただきました。

 

この日はK家が帰国する日だったので昼食後にいったんホテルに戻り、K家が出発する時間まで休み、5時にお二方をお見送り。

その後、ONさんとサリーを織っているところを見に行くことにします。

ONさんはヨガインストラクターですが、趣味に織物もするそうです。

そこで、地球の歩き方に載っていた織物で有名な近くの村に行こうということになりました。

ホテルのレセプションで村の名前を言い、地球の歩き方に載っている地図を見せながら行き方を聞きますが、いまいちピンと来ない様子。

サリーを織っている現場を見たいのだということを伝えて、とりあえずリキシャを呼んでもらいます。

ホテルのスタッフがリキシャのドライバーに何やら現地語で説明して出発しましたが、到着したのは村ではなく市内にあるサリーのお店でした・・・。

私たちの説明が悪かったのだろうと気を取り直して、店員さんの案内で路地を歩いて行き、一軒の建物に入ります。

そこではお兄さんがサリーを織っていました。

 

店員さんに連れられて一軒の建物に。

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現在は手織りのサリーを作る際は、上の写真のようなタイプの織機が一般的だそうです。生地のデザイン毎にパンチカードがあり、そのカードに開けた穴の位置でデザインが決まるのだそうです。

 

私が「このカードが出来る前はどうしてたの?」と聞くと、スタッフのお姉さんが更に奥まった別の建物に私たちを連れていきます。

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こちらが更に古いタイプの織機

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 このような織機で、よくあれほど見事な模様を織り上げていくものです。このおじさんの頭の中には、どれほどのパターンが記憶されているのでしょう?

 

こういった織物の仕事は家族でおこなっていることがほとんどで、性別に関係なく男性も女性も織るそうです。今の若い人は古いタイプの織機は使えるのかと聞いたところ、若い人達にも使い方を教えているので大丈夫だそうです。ちなみにスタッフのお姉さんは、ここで使っている織機は2000年前から使われているものだと言っていましたが真偽は確かめようがありません。

 

このあと当然のごとくお店に連れていかれました。

実際に織っているところを見せていただき、いろいろな質問にも答えていただいたので、高価なものは購入出来ませんでしたが何枚か買わせていただきました。

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お姉さんにお礼を言い、リキシャに乗って帰ろうとすると店の前にはガネーシャが祀られていたので、お祈りさせていただきました。

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かなりパワーのありそうなガネーシャさんだったので、きっと御利益があるに違いありません。

 

ガネーシャにお祈りをしたあとリキシャに乗り込み、ホテルに向けて渋滞中の道路を走っていると・・・。

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一頭の牛が悠然と私たちの乗っているリキシャの前を横断していきます。

日本人はここまで混んでいない道路でも横断するのに一苦労するというのに、さすがはシヴァ神の乗り物、余裕で渡っていきました。

 

 

このあと、いつものベジ・レストランSARAVAVABHAVANで夕食をとり、この日の日程は終了。

 

 

 

 

明日はチェンナイに向けて出発です。

 

 

 

 

 

 

 




 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「インド訪問記(7)」

3月17日(日)

朝起きてホテルの外を見ると、サルが隣の建物の屋根に。

室内には、サルが部屋に入って来ないようにドアや窓を閉めておくように、という注意書きがありました。

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午前9時にロビーに集合し、出発です。

本日は今回のインド訪問の主要目的の一つ、アガスティアの館での「アガスティアの葉」の探索。

まずは「アガスティアの葉」の説明から。

インドには古代から多くの聖者、賢者、予言者などが現れましたが、その中の一人がアガスティア(アガスティヤ)です。

古代インドの最古の聖典リグ・ヴェーダにもその名が出てきており、一般的には今から5000年ほど前の人と言われています。

アップル社を創業した故スティーブ・ジョブズ氏の愛読書はパラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」だったというのは有名な話ですが、この本に出てくるババジは、現在1800歳ほどと言われています。

このババジは若い頃アガスティアにヨーガの行法を伝授され、その結果不死の肉体を得たと「ババジと18人のシッダ」(M・ゴーヴィンダン・サンチダナンダ著)には書かれています。

そうするとアガスティアはその時すでに3000歳を越えていたことになります。

またババジと同様にアガスティアも、肉体を持ったまま現在も生きているとも言われています。

インド周辺に関する著書には上記のような話が普通に出てきますので、現代の常識にまみれた人間には理解不能かもしれません。(例えば「秘められたインド」ポール・ブラントン著、「ヒマラヤ聖者の生活探求(全5巻)」ベアード・T・スポルディング著などにも同じような内容が頻繁に出てきます。

この聖者アガスティアシヴァ神から、これから地球に生まれてくる各個人の運命を聞き、それを詩の形で椰子の葉に書き記したものが「アガスティアの葉」だと言われています。

それほど膨大な数の人間の未来全てを書くことが出来るわけが無い、という反論が当然出てくると思いますが、アガスティアは将来誰がこの葉を読みに来るのかが分かっていたために、未来に葉を探しに来る人のものしか残していないのだそうです。

以下はウィキペディアよりアガスティアの葉の説明です。

アガスティアの葉

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%91%89

 

アガスティアの葉は複製が作られており複数のアガスティアの館がありますが、今回私たちが向かった館は、ガイドさんがおすすめしてくれた「SRI AGATHIYAR NADDI JOTHIDA NILAYAM」という館。

グーグルで検索すると最上位、397件もの口コミがありました。

 

評価は3.5、これってどうなんでしょう?

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午前9時にホテルを出発して目的のアガスティアの館に到着すると、すでに沢山の地元の人達が待合室で待っていました。

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受付ではタミール語しか通じなかったので、北インド出身でタミール語を話せないガイドさんに代わり、ドライバーさんが受付係に説明をしてくれました。

館には英語を話す通訳がおり、タミール語を英語に翻訳してくれます。

まず最初は4名全員で親指の指紋の採取(男性は右手、女性は左手)。

人間の指紋は108種類に分類され、それらがさらに4つに分類されるのだそうです。

アガスティアの葉は16の部屋(章)に分かれており、その中から自分の知りたい内容の部屋を選択します(第1の部屋は必須)。

第1の部屋が3100ルピー(約5000円)、更に部屋を1つ増やす毎に1600ルピーづつ追加。さらに通訳料が一人2000ルピー。

思わず、インド人商売上手やな~と思ってしまいます。

ちなみにこの料金はインド人も外国人も一律で、インドの物価からするとかなりの高額なので、地元の人達がこの館に来るのは結婚、病気など大きな出来事の時、生涯に1~2回くらいだそうです。

私は第1の部屋の他に4つの部屋を追加しましたが、どれを選んだのかはご想像にお任せします。

参考までに、各部屋の内容を青山圭秀著「アガスティアの葉」から御紹介。

 

第一の部屋

男性は右手、女性は左手の指紋を採取し、または縁者のホロスコープから予言書を検索する。本人の名前、両親の名前、仕事の状況、兄弟、姉妹、結婚等、十二の部屋に関するあらゆることを網羅する。

第二の部屋

金銭、視覚、家族の教育、言葉。

第三の部屋

兄弟・姉妹間の愛情、憎悪、聴覚、訴訟、家事。

 第四の部屋

母親、母親の健康、寿命、家、乗り物、土地。

第五の部屋

子供の誕生と死、子供を授からない理由、子供の将来。

第六の部屋

病気、借金、敵、訴訟。

第七の部屋

結婚の時期、配偶者の名前とアセンダント、配偶者との占星学上の関係、将来の生活。

第八の部屋

寿命、事故、危険、死の時期と状況、星回りと場所。

第九の部屋

父親、父親の健康と寿命、富、巡礼、幸運、聖者の教え、慈善行為。

第十の部屋

仕事、天職、収入、引っ越し。

第十一の部屋

 利益、再婚、再々婚。

第十二の部屋

来世、解脱の時期、出費、外遊。

第十三の部屋(シャンティ・パリハーラム)

過去の罪、過去生からの罪の救済法。

第十四の部屋(ディークシャ・パリハーラム)

マントラ、ジャパ(神の御名を唱えること)、敵や困難を避けるためのタリスマン(護符)の着用。

第十五の部屋(アヴダーク・カンダム)

慢性病の治療

第十六の部屋(ディシャブクティ・カンダム)

進行中のディシャブクティ(長・短周期)についての予言。

 

 

 アガスティアの館ではこの指紋を元にして、膨大な数の葉の中からその人の葉の候補をいくつか選び出します。

 

私の指紋を取っているところ。(男性は右手の親指)

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指紋を取った後、私たち4人は2人づつに別れ、それぞれ葉を探索することに。

私はONさんと2階の部屋に通されるのですが・・・。

 

2階へと上がる階段。

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奥右側が、私たちが使用した部屋。天井が凄いことになっています。

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天井から上をみると、椰子の葉で葺かれた屋根から空が見えます。

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天井を見た私が通訳の方に「雨の日はどうするんだ?」と聞くと。「ここは雨が降らないから大丈夫。」と言ってました。本当かな?

 

まずは私の葉の探索からです。

なかなか威厳のある感じのナディ・リーダーが私の葉の候補を2つ持ってきて、それを元に質問をし、私がyes、noで答えていきます。

ちなみにこの葉を読むことが出来るのは、10歳前後から6年以上かけて特別な訓練を受け、代々ナディ・リーダーとして運命づけられた人だけだそうです。

また優秀なナディ・リーダーとなるには単に葉を読むだけでは無く、ホロスコープとの関係からその内容をどのように解釈するかなど、知識、経験、センスが重要だそうです。

 

威厳十分なナディ・リーダー。怒られそうだったので、シャッター音が鳴らないようにこっそり撮りました。

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本人や親の名前、職業、住所、結婚や子供の人数など多くの質問から葉を絞り込み、これは違う、これも違うと葉を変えていき、私の場合は4つめに出てきたものが私の葉だったようです。

説明が終わったあとに、葉の写真を撮っても良いかとナディ・リーダーに聞いたところ「いいよ。」と言うことで私が写真を撮っていると、さっきまで厳粛な顔で葉を読んでいたナディ・リーダーが、自分のスマホで葉の写真を撮る私の姿を撮っています。

私が「えっ?」という顔をすると、彼はニヤッと微笑みました。

さては、先ほどまで真面目な顔をしてニコリともしなかったのは、厳粛なイメージを持たせるための演技だったな・・・。

まさか、「カンチプラム ナディ・リーダーのブログ」に私の写真がUpされているなんてことは無いですよね?

 

こちらが私の葉。古代タミール語でびっしりと文字が書かれています。

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私の後にONさんの葉も無事に出てきました。

私とONさんは終わりましたがK家の二人はまだ時間がかかる様子。

時間は既に午後1時を過ぎていたので、とりあえずONさんと二人で昼食を食べに行くことにします。

場所はSARAVAVABHAVANというベジ・レストラン。

このお店はインドのみならず世界各国に支店がありますが、残念ながら日本にはありません。

 

SARAVAVANA BHAVAN(本店)

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各国の支店。

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このお店の特徴は、南インドの料理を伝統的なバナナの葉に載せたスタイルで食べることが出来るということです。

しかも料金もリーズナブル。

 

注文したのは、1番人気のThalai Vazhai Virundhu 205ルピー(約330円)

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こちらがバナナの葉に乗ったランチ、おかわり自由。

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インドの方々は当然のことながら、右手を使って食べていました。

私も以前スリランカに行ったときに、お世話になっていたおじさんに手で食べる方法を教えてもらっていたので、せっかく伝統的なバナナの葉で出てきたのだからということで、この日は手でいただきました。

手で食べたのはスリランカ以来でしたが、意外と上手く食べられたと思います。

ONさんはさすがにスプーンを使っていましたが。

 

 

K家2名の葉も無事に見つかり、少しホテルで休んでから私たち一行はカンチプラム周辺のヒンドゥー寺院を見学に行きます。

最初の行き先はカイラーサナータ寺院(Kailasanatha Temple)、こちらも世界遺産となっています。

 

カイラーサナータ寺院(Kailasanatha Temple)

カイラス山のシヴァ神に捧げられた神殿。Pallava King Rajasimhaが建造を始め、Mahendravarman Ⅲが8世紀に完成させる。この寺院内には58の小さな社が祀られており、この寺院を訪れることで信者は惑星ケートゥの悪影響を取り除くと考えられている。

この寺院は当初仏教寺院として建造されたが、この地域の仏教衰退とともに仏像がヒンドゥーの神々に置き換えられ、ヒンドゥー寺院となった。そのため基石部分などには、現在もパーリ語の文字を読むことが出来る。

 

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こちらがパーリ語の文字。

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パーリ語仏陀が生きていた時代に使用されていた言語で、現在は使用されていません。古典仏教の経典はパーリ語で書かれているものが多いため、ヒンドゥー教の僧侶がサンスクリット語を学ぶのと同じように、インドの仏僧はパーリ語を学ぶそうです。

ちなみに、現在のインドにおいて最も多く使用されている言語はヒンディー語

ヒンディー語は日本語と文法が似ているために、彼らにとっては日本語は比較的習得しやすい言語だそうです。ただし、漢字に関しては皆さんかなり苦労するようです。

 

 

次に向かったのがエーカンバラナータル寺院(Ekambaranathar Temple)

 

エーカンバラナータル寺院(Ekambaranathar Temple)

シヴァ神を祀るヒンドゥー寺院。パラッバ朝時代(4世紀~9世紀)に建立され、その後チョーラ朝、ビジャヤナガル朝時代に増改築される。総面積は9ヘクタール以上あり、高さ約60メートルの南インド最大級のゴープラがある。また寺院内には樹齢3500年と言われるマンゴーの木がある。

 

インドでは西暦の他にヒンドゥー独自の暦があり、この日はヒンドゥー暦の正月のお祝いをするお祭りがエーカンバラナータル寺院において、おこなわれていました。

 

左が西暦、右がヒンドゥー暦の日付。(アガスティアの館にて)

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お祭りということで寺院横の広場には移動式の遊園地が作られており、子供達が歓声を上げていました。

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 ステージでは伝統舞踊。

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寺院正門。

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正門からの参道には露店が並んでいます。

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このエーカンバラナータル寺院も他のヒンドゥー寺院と同様に、シヴァ神が祀ってある本殿にはヒンドゥー教徒しか入ることが出来ないため、お祈りはガイドさんに任せて私たち日本人は、周囲の回廊を回ります。

この日はお祭りと言うこともあり凄い人出でしたが、この寺院内では結局私たち以外の外国人には一度も会いませんでした。本殿でお祈りは出来なくても、地元の人達が祭りを楽しんでいる雰囲気を味わうことが出来たので、とても良かったです。

 

寺院内の様子。

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屋台で大きなサイズの唐辛子を揚げたものを売っていたので買ってみました。適度な辛さで美味しかったです。(これで20ルピー約30円)

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では最後に南インド屈指の高さを誇るゴープラの写真を何枚か。

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 明日もカンチプラムに滞在です。