「インド訪問記(10)完」

3月20日(水)

 

インド最終日。

本日は午前中はフリー、12時にホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせをして、ダクシナチトラ(Dakshinachitra)、ヴィヴェーカーナンダハウス、マリーナビーチ等に行き、0:20発のマレーシア航空MH070便でチェンナイ空港を発つ予定。

 

午前中はホテルの周囲を少し散歩します。

道路脇にはあちらこちらに屋台があり、多くの人達が屋台で朝食を食べていました。皆さん、立ったまま南インドスタイルの食事を手で食べていましたが、食べ終わった後の手はどこで洗っているのでしょう?

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歩道では、スイカが沢山売られていました。

北インドでは、日本と同じようにスイカの時期は3月~9月頃だそうですが、1年を通して暑い南インドでは、1年中スイカが収穫できるそうです。

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チェンナイでも、街角にはヒンドゥーの神様が祀られていました。

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お昼過ぎにガイドさんがホテルに私をに迎えに来て出発。

私一人にガイドさんとドライバーさん、なかなか贅沢な最終日です。

 

最初の目的地ダクシナチトラ(Dakshina Chitra)に向けて走ります。

途中にはキリスト教の教会や、イスラム教のモスクなどもありました。やはりチェンナイくらいの大きな町になると、ヒンドゥー教徒以外の人達も一定数いるのでしょう。

 

キリスト教の教会。

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イスラム教のモスク。

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チェンナイ市内の高層マンション群。

道路沿いは、かなりゴミが多いです。

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最初の目的地、ダクシナチトラ(Dakshinachitra)に到着します。

 

ダクシナチトラ(Dakshinachitra)

ダクシナチトラはタミールナドゥ州、アンドラプラデシュ州、カルナータカ州、ケララ州の南インド4州の文化を学ぶことができる文化村のような施設です。それぞれの地域の特徴的な家屋を敷地内に移設しており、実際に中に入って見学することができます。建物内部は資料館になっており、生活様式から芸術まで幅広く知ることができます。

 

ダクシナチトラ入り口。

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レセプションとガイドさん。

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料金はインド人大人110ルピー、外国人大人250ルピー(約400円)。

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エントランス横。

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案内板。

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ここからは、分かるもののみ説明を書いていきます。

 

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生地を染めるための木版。

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牛に引かせる鋤。

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地元の子供達も見学に来ていました。

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カーマクシ アンマン寺院の外にあった山車と同じような山車を引いている写真がありました。

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ターバン。

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インドというとなんとなくターバンのイメージがありますが、インドでターバンを巻くのはシク(シーク)教徒のみで、現在ではシク教徒でも敬虔な人以外は巻かない人が多いそうです。今回の旅行中もターバンを巻いた人には会いませんでした。

 

 ケララ州の伝統的な家(1875年)、木造、瓦葺きで日本家屋に似ています。木材はジャックフルーツパルミラ

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伝統的なアーユルヴェーダのスタイル、現在も男性の施術は男性のみ、女性の施術は女性のみ。

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カンチプラムで見たものよりも更に古そうな織機。

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少し遅めの昼食は、施設内のレストランで食べることにします。

この場所は海に近いため、魚を使ったSouth Indian Mealsを注文します。

 

レストラン。

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South Indian Meals Fish(200ルピー)

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料理が届き食べ始めてから、私があることに気づきます。

私のものはご飯がそのままお盆に盛ってありますが、ガイドさんの方はご飯が金属の器に入った状態で中心に置いてあります。

どうやら、持ってきたお姉さんが間違えて逆に置いていったようです。

ガイドさんがスプーンで食べているのに私一人が手を使って食べるのもなんだな~、と思いスプーンで食べましたが、はっきり言って平らなお盆の上に盛られた状態のご飯をスプーンで食べるのは、非常に食べにくいです。

最後は本当に手を使って食べたくなりました。

 

South Indian Mealsのあとにデザートを注文しましたが、名前を忘れてしまいました。検索したところ、おそらくファルーダという食べ物ではないかと思います。

 

ファルーダ?

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アジアで食べるデザートはやたらと甘いことが多いのですが、こちらもご多分に漏れずかなりの甘さでした。

 

 

食事を終え、ダクシナチトラ(Dakshinachitra)をあとにします。

 

こちらはダクシナチトラのサイト

https://www.dakshinachitra.net/

 

 

 次の目的地はヴィヴェーカーナンダハウス。

 

まずは、私の尊敬するヴィヴェーカーナンダについて、簡単に説明。

 

ヴィヴェーカーナンダ(Vivekananda)

本名:ナレーンドラナート・ダッタ(1863年1月12日~1902年7月4日)、ラーマクリシュナの後継者であり、ラーマクリシュナ僧院とラーマクリシュナミッションの創設者。彼は1893年にアメリカ・シカゴで開催された万国宗教会議にヒンドゥー教の代表として参加する。彼は原稿を用意せずに演説をおこない、その高度な英語力と魅力的な語り口による「普遍宗教」の演説は熱狂的な歓迎を受けた。

その後、ヨーロッパ各国、アメリカなど4年に及ぶ外遊と講義をおこない1897年にインドに帰国する。

帰国した際に彼が滞在したのが、今回訪問したヴィヴェーカーナンダハウスである。

彼はバガヴァットギーターやヨーガ学派の思想を再編成し、ヴェーダンタを再解釈し、単純化、近代化してヨーガの名によって説いた。

彼は人間を4つの類型に分類し、それぞれにふさわしい4つのヨーガがあるとした。

それらはカルマ・ヨーガ(実践の道)、ラージャ・ヨーガ(心身統一の道)、バクティ・ヨーガ(信愛の道)、ギャーナ・ヨーガ(智慧の道)である。

これらのヨーガについての欧米での講演は、それぞれが1冊の本としてまとめられている。彼は講演の際に一切原稿を書かずに演説をおこなったため、書籍化は講演内容の記録、記録の編集作業など多くの人達の献身的な作業により実現した。

 

4つのヨーガ。

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最もページ数の少ないバクティ・ヨーガで189ページ、最もページ数の多いギャーナ・ヨーガで347ページ。これらはヴィヴェーカーナンダの講演の速記録を文字にしたものですが、彼はどの講演も事前に原稿をいっさい書かずに話していました。その内容の深さ、理解しやすさを考えると彼がいかに卓越した語り手であったのかが分かります。彼は解脱に到達したヨギについて語るとき、そこに至っていない者達を聴衆と自分を含めて「私たち」という言い方をしますが、その講演録を読むと彼もまたそこに到達していたのではないかと思えてきます。

ちなみに私にはカルマ・ヨーガ(実践の道)とバクティ・ヨーガ(信愛の道)が向いているように感じます。

 

こちらはウィキペディアのヴィヴェーカーナンダのページ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%80

 

 

次にヴィヴェーカーナンダハウスについて。

  

ヴィヴェーカーナンダハウス(Vivekananda House、Vivekanandar Illam)

この建物は1842年にアメリカの氷商人フレデリック・チューダーにより、海外から運ばれた氷の貯蔵施設として建てられたもので、当時はIce Houseと呼ばれていた。その後、製氷技術の発明によりチューダーの事業は立ちゆかなくなり、建物はマドラス高等裁判所の支持者であるBiligiri Iyengerにより購入される。彼は建物をCastle Kernanと名付け、住居に合うように建物の古いフレームに円形のベランダを付けるなどの改築をしたが、換気が不十分なため住宅としては使用できなかった。

スワミ ヴィヴェーカーナンダは1897年2月にヨーロッパ外遊から帰国した際、壮大な行列とともに駅からCastle Kernanに迎えられ、10日間の滞在中に7回の講演をおこなう。その後この建物は政府に買い取られ、幾たびかの変遷を経てヴィヴェーカーナンダがマドラス(チェンナイ)を訪問してから100年後の1997年2月、タミール・ナドゥ州政府は建物と隣接する土地の一部をスワミ・ヴィヴェーカーナンダに関する資料を常設展示する施設とする。

 

ウィキペディア英語版

https://en.wikipedia.org/wiki/Vivekanandar_Illam

 

ヴィヴェーカーナンダハウスのサイト

https://vivekanandahouse.org/

 

 

ではヴィヴェーカーナンダハウスの外観の写真を何枚か。

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館内に入ると1階は、古代インドの叙事詩、神話などを絵画にしたものを展示しています。展示室は写真撮影禁止のため、ここから下の写真はヴィヴェーカーナンダハウスのサイトにあった写真を拝借しました。

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2階はヴィヴェーカーナンダの少年時代のことや、彼の言葉をパネルにしたものを展示しています。私があまりにもじっくりとパネルを読んでいるため、ガイドさんは先に行きますねと先に上の階に行ってしまいました。

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3階はフォトギャラリーと3D映写室、メディテーションルーム(瞑想室)。

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フォトギャラリーを見た後、3D映写室に行くとヴィヴェーカーナンダの映画の上映中だったので、先にメディテーションルーム(瞑想室)に入ります。正面にヴィヴェーカーナンダの写真があり私が入った時には他には誰もおらず、今回のインドの中で最も心を静めることができた場所でした。このメディテーションルームはおすすめです。

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その後、前回の映画の上映が終わり他の観客とともに出てきたガイドさんに「どうだった?」と聞くと、「タミール語なので何を言ってるのか全然わからなかった。」ということでした(ガイドさんは北インド出身でタミール語を理解できません)。

たとえ理解できなくても映像でなんとなく分かるだろうと、スタッフに自分も映画を見たいと言うと今回の観客は私一人。しかも私のために英語バージョンにしてくれたので、タミール語よりは理解できたと思います。

 

こちらは映画のトレーラー 


The Awakening 3D Movie Trailer : 150th Birth Anniversary Celebrations of Swami Vivekananda

 

ヴィヴェーカーナンダ シカゴスピーチ フルバージョン(1893年9月11日)


Original Speech - Swami Vivekananda Chicago Speech In Hindi Original | Full Lenght | Uncut Speech

 

 

映画を見た後は売店に行き、ここでしか手に入らない品をゲット。

 

 

ヴィヴェーカーナンダハウスはインドでも有名なビーチ、マリーナビーチの正面にあるのでそのままマリーナビーチへと向かいます。

 

マリーナビーチ

マリーナビーチはチェンナイにあるベンガル湾に面するビーチ。全長13kmで世界で2番目に長いビーチと言われている。ビーチの平均幅は300m、最も広いところで437m、インドで最も混雑しているビーチの一つで平日で1日約3万人、休日には1日約5万人の人が訪れる。

 

 

ヴィヴェーカーナンダハウスの前にある道路を渡りビーチに行こうとしますが、道路から海辺までがやたらと遠い!

しかし、せっかく来たのだからとガイドさんと海辺まで歩いていきます。夕暮れ時のひろ~い砂浜には、カップル、家族連れなど多くの人達が思い思いに楽しんでいました。インドは日中は暑すぎるので、地元の皆さんは日が傾き少し涼しくなってからビーチに来るそうです。

この日はちょうど満月で、時間的に海の上には満月、反対側には夕陽と素晴らしいタイミングでした。

 

広くて長いマリーナビーチ

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マリーナビーチと満月

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後ろを振り返ると沈む夕陽

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夕暮れ時のヴィヴェーカーナンダハウス。

荘厳です。

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このあと、ガイドさんがお茶をおごってくれました。ひげのおじさんが淹れてくれたジンジャーミルクティーは甘くてスパイシーで美味しかったです。

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マリーナビーチをあとにして、車はチェンナイ空港へと向かいます。

この日の翌日からインドではホーリー祭というお祭りがおこなわれる予定。

 

ホーリー祭(ウィキペディア

春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗り合ったり色水を掛け合ったりして祝う。

ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りであったが、その後クリシュナ伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって、現在まられる形になった。ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール地方の伝承でこの日に人家に押し入ってくるビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされる。そのため黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴すると言われている。色水は色粉を水に混ぜて作る。

 

 

こちらがホーリー祭。


Holi, India's EPIC Color Festival - Vrindivan, India

 

 

ホーリー祭は北インドが主で、南インドではおこなわれないそうです。

ガイドさんはブッダガヤ出身ですが、チェンナイからブッダガヤへの直行便が無いため、直行便のあるお母さんの地元コルカタ(旧カルカッタ)でお祭りを祝う予定だそうです。

チェンナイ空港国際線の前で、インド滞在中にお世話になったガイドさん、ドライバーさんとお別れします。ガイドさんは隣にある国内線に向かい、ホーリー祭を楽しむためにコルカタへ。

 

私はここからマレーシア航空でクアラルンプールに向かい、クアラルンプールから成田へ。

成田行きの便に乗ると、私の席は非常口横に2席あるうちの窓側の席。

席の前は広く、さらに私の隣の通路側の席も空いている様子。

これはゆったり出来てラッキーかと思いきや・・・、離陸の段階になり私の正面にはこちら向きでCAのお姉さん2人がCA用の席に座り、更に私の隣の通路側の席にもCAのお姉さんが。

結局私の周囲を3人のきれいなCAのお姉さんに囲まれる形となってしまいました。

社交的で英語が堪能な男性ならば最高のシチュエーションかもしれませんが、社交性、英語力ともに乏しい身としては、まったくくつろぐことができません。

それにしても他に空席があるというのに、チェックインカウンターのお兄さんはなぜ私をこの席に座らせたのでしょう?不審者に見えたので監視のため?

着陸の際も離陸と同様にきれいなCAさん達に囲まれましたが、今度は隣に座ったお姉さんが「成田からどこに行くの?」とか「東京の桜はもう咲いた?」と話しかけてきてくれたので、多少は間が持ちました。

非常口横の席も、私のような人間にとっては善し悪しですね。

 

飛行機は無事に成田に到着。

 

出発前は「インドに行ってくる。」と言うと、いろいろな人達に治安面だとか衛生面だとかをさんざん脅かされていましたが、治安面は特に問題なし、胃腸の調子も快調でこれといったトラブルはありませんでした。

 

今回は南インドの旅でしたが、広い国ということもあり地域によってかなり文化的な違いがあるようなので、いつかは北インドも旅してみたいですね。

 

では最後にラマナ・マハリシとヴィヴェーカーナンダの言葉を一つづつ。

この二人は同じインド人でも「沈黙の聖者」と「雄弁な語り手」と、ある意味対照的な二人ですが、どちらもこの世界に多大な影響を与えました。

 

 まずはマハリシに対する弟子の問いとその答え。

 

弟子:

なぜバガヴァン(マハリシの呼称)は外へ出かけて行き、声高く人々に真理を述べないのでしょうか?

 

マハリシ

私がそうしていないと、どうしてあなたは知っているのかね。

ずっと演壇に登りつづけ、まわりの人々に熱弁をふるって説いているではないか。

法を説くということは、知識をただ伝えるということであり、それは本当に沈黙によってのみなされうるものである。

1時間ばかり説教を聞き、生き方を変えるほどの印象を受けることなく去ってゆく人を、あなたはどう思うかね。

それに比べると、聖なる現前の座に加わり、しばらくしてその座を立ち去る人の表情は、すっかり変わってしまっているのを見ないのかね。

何の効果もなく大声でしゃべるのと、内なる力を送りながら静かに座っているのと、どちらがいいか。

 

 「ラマナ・マハリシの教え」より。

 

 

 

では次にヴィヴェーカーナンダの講演の一部を。こちらは1896年10月27日、ロンドンでの講演からの抜粋。

 

 

幸福には栄光があります。

不幸には栄光があります。

あえて言うなら、悪にも効用があるのです。

不幸が与える大きな教訓を、われわれは皆、知っているでしょう。

われわれはこの生涯で、しなければよかった、と思うことをたくさんしてきました。

しかしそれらは同時に、偉大な教師だったのです。

自分のことを話せば、私は自分が何らかの良いことを、そしてたくさんの悪いことをしてきたのを、よろこんでいます。

何か正しいことをし、多くの間違いをおかしてきたことを、よろこんでいます。

なぜならそれらの一つ一つが大きな教訓となっているからです。

いまあるような私は、私がおこなった全てのこと、私が思った全てのことの結果です。

あらゆる行為と思いがその結果をもたらしており、これらの結果が私の進歩の総計なのです。

われわれは皆、欲望はわるい、ということを理解しています。

しかし、欲望を捨てる、とはどういうことなのですか。

どうして生きていくことができますか。

欲望をころし、人もころすという、それは同じ自殺的な助言でしょう。

答えはつぎの通りです。

ものを持つな、というのではありません。

必要なものをもつなというのではないし、ぜいたくなものさえ、持つなというのではありません。

欲しいものは全部お持ちなさい、もっとお持ちなさい、ただ、真理を知ってそれを理解なさい。

富は誰のものでもないのです。

経営者、所有者の観念をいだいてはいけません。

私は何者でもない、他の誰彼も何者でもありません。

全てのものは主のものです。

あのはじめの一節が、いっさいの中に主をおけ、とわれわれに告げたのですから。

神はあなたが持っている富の中におられる。

彼はあなたの心の中におこる欲望の中におられる、彼はあなたが買って自分の欲望を満足させる品物の中におられる、彼はあなたの美しい衣装の中に、美しい装身具の中におられる、このように考えるのです。

この光でものを見るようにするやいなや、全てが変容するでしょう。

あなたがもしあなたの活動の中に、あなたの会話の中に、あなたの形の中に神をおくなら、全体の光景がかわり、この世界は、かなしみと不幸の世界と見えていたものが天国になるでしょう。

 

 「ギャーナ・ヨーガ(知識のヨーガ)」より。

 

 

 

 

 

インド訪問記  完