「今日の映画『ギフテッド』」

先週は早めの冬休みを頂いて北海道に帰省しておりましたが、少し時間があったので札幌の映画好きが集まる映画館「シアターキノ」に行き、公開前から気になっていた映画「ギフテッド」を見てきました。

こちらは「シアターキノ」のサイト↓

                「シアターキノ」




「ギフテッド」という言葉を聞いたことが無い方もいると思いますので、その概要です。


「ギフテッド」  (ウィキペディアより一部抜粋)

ギフテッドは、外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内在的な学習の素質、生まれつきの学習能力を持つことを指す。

1933年、アメリカ教育省はギフテッドを「ギフテッドとは同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した才能を持つ子供のことである。」と定義している。

ギフテッドにおける高度な知的能力の傾向は、誕生時点から生涯にかけて見られる。

ギフテッドは、英才児、優秀児、天才児などと和訳されているが、日本ではそのような子供を「飛び級できるような賢い子」という一面でしか捉えられておらず誤解が生じている。

そのため、本項では、英才児、優秀児、天才児などと和訳せず、「ギフテッド」と呼称する。

ギフテッド (gifted)は、贈り物を意味する英語の「ギフト (gift)」 が語源であり、神または天から与えられた“資質”、または遺伝による生まれつきの「特質」と言える。

「ギフテッドの才能を伸ばす」という言い方はできる。

しかし「こうすればギフテッドになる」とは言わない。

ギフテッドは早期教育や、他人よりも早く多く習得する先取り学習によってギフテッドに成長するようなことはない。

ギフテッドは自ら常に多様な「知的刺激」を切望して満たし自分の好みの学習方法で、自分の興味のある分野を極めて深く掘り下げて探求する傾向にある。

そのため、ギフテッドは結果的に同年者より先のレベルに到達することが多い。

ギフテッドは、教育熱心な保護者主導で幼児教室に通わせたり、または業者の教材を子供に買い与える受動的な早期教育とは一線を画する。

ギフテッドは、 タレンテッド(英: Talented)という言葉と併用され、「ギフテッド」や「タレンテッド」への教育は、ギフテッド・タレンテッド教育 (GATE, Gifted and TalentedEducation) と呼ばれている。

ギフテッドが、全般的、学術的な才能を指すのに対して、タレンテッドは芸術的な才能を持つ人物を意味する。







この映画「ギフテッド」の主人公はマッケナ・グレイス演ずるメアリーという名の7歳の女の子。

彼女には数学の天才的な才能(ギフテッド)がありました。

映画の中では自身も数学者であったメアリーの祖母が、「人類に偉大な貢献をするには、本人も相応の犠牲を払わなければならない。」とメアリーに英才教育を施そうとします。

この言葉を聞いて私は、

「一世代、二世代前の人たちはこのような考え方だったのだろうな~。」

と感じました。

しかしこれからのギフテッドたちは、自分自身も楽しみながら偉大な成果を残していくのだろう、と私は考えています。

映画では最終的に祖母の思惑とは異なる結末となりますが、メアリーは自らの人生を犠牲にしなくとも、愛する家族と共に、その与えられた才能を更に開花させていくのでしょう。

それにしてもメアリー役のマッケナ・グレイスの演技!!

彼女もまた、ギフテッドと言っても良いのではないでしょうか。

こちらは「ギフテッド」の予告編です↓


映画『gifted/ギフテッド』予告


クリス・エヴァンス出演 映画『gifted/ギフテッド』予告

 

 

 

 

 

映画の中でメアリーが数式を解いていくシーンは鳥肌ものですが、このシーンを観ていて、私が20歳位の頃に数学の時間に同じような場面を目撃したことを思い出しました。

次回は、その時のことを書きたいと思います