「ヨハネの黙示録とCOVID-19(新型コロナウイルス)とBCG (1/2) 」
以前、COVID-19(新型コロナウイルス)とBCGとの関連について記事を書きましたが、今回は全く違う視点から、これらについて書きたいと思います。
この記事を書くにあたり最初に断っておきたいのですが、これまで私のブログを読んできた方ならば御承知の通り、私はこれまで精神世界、あるいはスピリチュアリズムと呼ばれる分野に関する本を、散々読み漁ってきました。
そのため、世間の一般的な「死」に対する考え方とは「死」というものに対する受け止め方が違います。
私は肉体の死を、悲しむべきものとは思っていないのです。
この考え方は、一見わたしの職業と矛盾すると感じる方もいるかもしれませんが、そこには何の矛盾もありません。
私たちの身体は「生ける魂の神殿」なのですから、個々の魂がこの世界に降りてきた目的を達成するため、最期の時が来るまで精一杯に生を全うできるよう、その居場所(身体)を最高の状態に維持しようと努めるのは当然のことです。
多くのスピ系の人達が「私たちは肉体以上の存在なのです」と言いますが、未来の地球人達は「私たちはエネルギー以上の存在なのです」と言うことになります。
現在、世界中で多くの方々が新型コロナウイルスの犠牲になっている中でこういった記事を書くと、神、魂の存在、輪廻転生、この物質世界を超えた世界の存在などに対して否定的な考えを持っている方は、不快に感じるかもしれません。
ですから、そのような方はこの先は読まないことをおすすめします。
まずは、先日書いた新型コロナウイルスに関する記事です↓
上記の記事を書くためにかなりの数のBCGに関するサイトを見ましたが、それらのサイトに掲載されているBCGを接種された子供達の写真を見ていてあることに気づき、思わず「あっ」、と声を上げそうになるほど驚きました。
例えばこのような写真です↓
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200407-00000008-pseven-soci
こちらはBCG接種用の針↓
http://nria.fra.affrc.go.jp/kenkyu/seikaH11/nria99005-1.jpg
写真を見ても分かるように、BCG接種は9本の針が付いたBCG用スタンプを2回腕に押しつけます。
また一般的には左腕に打つことが多いようですが、左右どちらの腕とは決まっていないようで、場合によっては腕以外の場所に打つこともあるようです。
こちらは日本小児科学会によるBCGワクチンの説明↓
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/VIS_15BCG.pdf
いったい私が何に驚いたのかと言うと、これらの写真を見ていて「ヨハネの黙示録」の内容を思い出したのです。
『ヨハネの黙示録』(ヨハネのもくしろく 古代ギリシア語: Ἀποκάλυψις Ἰωάννου、ラテン語: Apocalypsis Iōannis、英語: Revelation)は、『新約聖書(クリスチャン・ギリシャ語聖書)』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。
では「ヨハネの黙示録」第13章16~18節です。
13:16
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
13:17
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
13:18
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
つまりヨハネの黙示録では、以下のように言っているわけです。
・666の刻印は小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印をする。
・身体に666の刻印が無い者は、物を買うことも売ることもできなくなる。
もう一度、BCGを接種された子供の写真を見てください↓
9本針のはんこ注射が縦に2つ、まさに、「666の刻印」に見えます。
現在、世界の多くの国ではBCGは必要ないと接種は行なわれていませんが、日本では1951年以降、現在に至るまで接種が必要な全ての国民にBCG接種をしています(以前はツベルクリン反応により、接種が必要かどうかを決めていた)。
海外の多くの国では外出禁止令により、「物を売ることも買うことも出来ない」ような状態となっている一方、日本では非常事態宣言は出されていますが、新型コロナウイルスにより重症化する率も低く、比較的行動の自由が保たれています。
私には黙示録の内容が、見事に現在の世界の状況に合致しているように思えます。
ここで問題になるのが、「この刻印は、その獣の名、または、その名の数字」という部分です。 西洋においては「666」は獣の数字として忌み嫌われています。
この件に関して調べていると、2016年の時点でBCGと獣の数字666の関係を書いている記事を見つけました↓
ここでもう一度BCGという名称です。
BCG (ウィキペディアより一部抜粋)
BCG(仏: Bacille de Calmette et Guérin の略、カルメット・ゲラン桿菌)とは、ウシ型結核菌(Mycobacterium bovis)の実験室培養を繰り返して作製された細菌、および、それを利用した結核に対する生ワクチン(BCGワクチン)のこと。本来は前者にあたる細菌そのものを指す語であったが、一般社会や医学分野では後者を単に「BCG」と呼ぶことが多い。以下、本項では前者を「BCG」、後者を「BCGワクチン」と表記する。
「Bacille」は細菌、桿菌、「Calmette(カルメット)」と「Guérin(ゲラン)」とは、BCGを作ったパスツール研究所の研究者2人の名前。
そしてBCGを日本語では「ウシ型弱毒結核菌ワクチン」と呼びます↓
BCG=ウシ型弱毒結核菌ワクチン、BCGはまさに「獣の名の刻印」です。
残るは、
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
という部分に関してです。
西洋では獣の数字として嫌われる「666」という数字ですが、この数字は日本においては全く違う意味を持ってきます。
「六六六」は六が三つ、つまり「ミロク」となります。
「ミロク」とは弥勒菩薩(みろくぼさつ)、あるいは弥勒の世(みろくのよ)を意味します。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天(とそつてん)で修行(あるいは説法)しているといわれる。
そして、弥勒菩薩が兜率天から天降って人間世界に現れ、衆生(しゅじょう)を救うという未来の世を「弥勒の世」と呼びます。
弥勒菩薩について調べていたところ「アスカのブログ!」というブログの2014-12-30の記事に興味深い内容が書かれていたので、一部を抜粋します↓
皆様は、「567」をミロクと読むことをご存じでしょうか? 主に、大本教(出口王仁三郎師)によって唱えられた説です。
(中略)
サテ、釈尊滅後の今日は平安時代以降、末法の世と言われています(よって現在の、政治・経済、社会、人心の荒廃、悲惨さも、末法とおり、と言うわけです)。
そして、未来(将来)我々を救ってくださる御方が、唯今天界で修行中です。
その名を弥勒菩薩(マイトレーヤー。ミトラ神とも)と言い、その方が修行を終え、地上の万物を救うべく、下界に降臨してくることを、「弥勒下生(みろくげしょう)」と申します。
弥勒を数字で表すと、36、369、666、999(ひっくり返すと666)となり、これらは分かりますがそれでは「567」を何故、同じく弥勒と呼ぶのでしょうか?
これには、深い意味が隠されているのですが、簡単に申しますと、先ず、神道では、【ゝ】を「ホチ・素・ス・素神・ス神」と呼んで「神」を表し又、大ざっぱに、この宇宙を、天界・中界・下界の3つに分けています。
図のように、666(六六六)を縦に並べ、ひっくるめて、弥勒と言います(正しい六は上が「、」ではなく、【ゝ】となります)。
この時、天界の六のス神、「ゝ」が、下界(地上世界)に降りてくるので、下界の六は一つ加わって七。
天界の六は一つ減って五。中界はそのままの六。よって、五六七となり、弥勒下生後の567を、ミロクと言うのです。
<以降は私の勝手な推測です(汗!)>
仏教では言うまでも無くその降臨時期を、末法入りより五六億七千万年後(これは比喩の年数)。
何故なら、五六億年後には恐らく、地球は存在しないし人間もいないでしょう。
そんな所に下生しても、無意味なので。降臨なら、人類の危機が叫ばれる今しか無い筈です)と言うわけですが、仏教の年数は、この手書図(ヘタッピーで、相すみま
せん!)の説明から導き出されたものでもあるのです。
以上、666は下生前(天界で修行中の弥勒菩薩)。
下生後(下界で万物を救済中)は567が正しいミロクとなるのです。
人の戒名(俗名→あの世の正式名)と同じで、降臨前後での区分けが必要と思います。尚、未来仏と言われるように、この際は弥勒如来(仏)と称されるはずです。
以上「アスカのブログ!」より一部抜粋。
こちらがその図です↓(「アスカのブログ!」より)
こちらは元記事↓
「アスカのブログ!」にもあるように、弥勒菩薩はお釈迦様の次にこの世界を救うために兜率天で修行し、政治、経済、社会、人心の荒廃、悲惨さが限界に達した末法の世に下界に降りてきて、この世を救うと言われています。
弥勒菩薩(567=666)が下界に降りてくるのが五六億七千万年後と言われていますが、上記にも書かれている通り、この年数は比喩でしょう。
もう気づいている方もいるかもしれませんが、弥勒菩薩(五六七)、そして五六億七千万年、どちらも日本語だとコロナと読むことができます。
ですから弥勒菩薩は、政治、経済、社会、人心の荒廃、悲惨さが限界に達したと言っても良い状況の現在の地球(下界)に、兜率天(天界)での修行を終えて肉体を持った人間として、既に生まれ変わっているのだと思います。
そして弥勒菩薩(=五六七=コロナ)のちからによって、この地球を弥勒の世に変えている途上だと考えることができます。
これは終末預言の書と呼ばれている、ヨハネの黙示録とも合致します。
ここでもう一度、ヨハネの黙示録13:18
13:18
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
この文章は、この物質世界に肉体を持った生身の人間として生まれ変わった、弥勒菩薩のことを指しているのではないでしょうか。
今回はここまでにして、次回はヨハネの黙示録、ケイシーリーディング、ヒンドゥーの聖典、日月神示なども絡めながら、もう少しこのことについて考えてみたいと思います。