「Dr.スティルの著書」
Dr.スティルの著書には以下の4冊があります。
「Philosophy of Osteopathy 」
「The Philosophy and Mechanical Principles of Osteopathy 」
「Osteopathy Research and Practice」
「Autobiography of A.T.Still」
私がオステオパシーの専門学校に通っていた頃は日本語訳が無かったため、自伝以外の3冊の原書を苦心惨憺して読みました。
その後、日本オステオパシー・メディスン協会(JOMA)が「Philosophy of Osteopathy 」の日本語訳を出版しましたが、それ以外の著書も日本語訳が必要だと思い、翻訳権などの権利関係をオステオパシー・メディスン協会に問い合わせてみました。
すると、日本オステオパシープロフェッショナル協会(JOPA)が、かなり前に「Osteopathy Research and Practice」を、日本語に翻訳しているということをJOMA事務局の方が教えてくださり、画像を送っていただきました↓
私はこれまで「Osteopathy Research and Practice」が既に日本語に翻訳されているということを全く知らず、必要がある際は原書を読んでいました。
そこで、早速JOPAに問い合わせたところ絶版しており、現在は在庫も無く、再版の予定も無いということでした。
「Osteopathy Research and Practice」には有用な情報がたくさん書かれているのですが、現在の日本のオステオパスには、私と同じようにこの本を必要としている人はいないのでしょうか?
JOPAの関係者の方がこの記事を読んでいましたら、ぜひ再版をお願いいたします。
また、この本を持っている方で現在使用していない方は、譲っていただけると幸いです。
参考までに当院ホームページの「どのような症状に効果があるの?」のページです。
「Osteopathy Research and Practice」の内容を紹介しています↓
こちらは以前に書いた「Osteopathy Research and Practice」の「腫瘍」に関する記事です↓
「神は万事単純を好み給う。」
故中曽根康弘元首相の葬儀に、国費から9,643万円が支出されるというニュースがありました↓
「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀実行委員会及び同幹事会合同会議資料↓
https://www.cao.go.jp/others/soumu/goudousou/goudoukaigi1.pdf
この件について、1856年に出版されたアラン・カーデック編「霊の書」からの抜粋を紹介したいと思います。
「霊の書」(Spirits' Book)は、フランス人のアラン・カーデックが知人の娘さんを霊媒として交霊を行なったものの記録です。
通信霊は聖ヨハネ、パウロ、アウグスティヌス、ソクラテス、プラトン、スエーデンボルグ、真理の霊等。
この書は「シルバーバーチの霊訓」にも匹敵する内容と言われており、フランス語で書かれたため、非英語圏のフランス、イタリア、スペイン、ブラジルなどで広く読まれています。
では、今回のニュースとも関連がありそうな部分です。
問:
供物も、貧しい人の救済に捧げるなら、神には好ましいものではありませんか。
答:
神は常に善をなす者を祝福される。
貧しい者、苦しむ者を助けることは、神に仕える最善の道である。
吾等はここで、諸君が神の礼拝のためにする儀式を、神は好まぬと言うつもりはない。
しかし、そのために多額の金が使われる。
それはもっと有効に使える金である。
神は万事単純を好み給う。
心よりも外的な事に重きを置く者は、心の狭い霊である。
されば、示されている心持ちよりも、神が形を重視されるということが、いやしくもあり得ようか。
問:
葬儀に金をかけて個人の記憶を永くとどめたいという望みは、どこから来るのですか。
答:
最後の高慢の行為である。
問:
しかし、そういう盛大さというのは、死者本人より、死者の名誉をたかめようとする、親戚の行為の場合が多いのではありませんか。
答:
その場合は親戚達が自分達の名誉のためにやっているのである。
その葬儀一切は、金持ちぶりを見せびらかしたりするためである。
諸君等は、愛するものの記憶は貧者の心には永く残らないと思われるか。
貧者は墓に花を捧げてくれぬから。
諸君等は、大理石はこの世を無意味に送った者の名を、空しさより救ってくれるとお考えか。
問:
葬儀の偉大さは、どんな場合にも非難されるべきですか。
答:
いや、高貴な人生の名誉を称える場合には、正当なものである。
また、良い教訓にもなる。
「『ゴールデンカムイ』1-23巻入りました。」(本)(動画)
漫画「ゴールデンカムイ」の1-23巻が入荷いたしました。
こちらも当院に来ている方にオススメされてネットで1巻を試し読みしたところ、かなり面白かったため、最新刊までまとめて購入してしまいました。
コロナに関して調べる作業が一段落するまではと、1巻を読んだ後しばらく我慢していましたが、とりあえず私なりにコロナに関しては一区切りつきましたので、ようやく購入できました。
「ゴールデンカムイ」あらすじ(公式サイトより)↓
舞台は気高き北の大地・北海道。時代は、激動の明治後期。
日露戦争という死線を潜り抜け『不死身の杉元』という異名を持った元兵士・杉元は、
ある目的の為に大金を欲していた…。
一攫千金を目指しゴールドラッシュに湧いた北海道へ足を踏み入れた杉元を待っていたのは、網走監獄の死刑囚達が隠した莫大な埋蔵金への手掛かりだった!!?
雄大で圧倒的な大自然! VS 凶悪な死刑囚!!
そして、純真無垢なアイヌの少女・アシリパとの出逢い!!!
莫大な黄金を巡る生存競争サバイバルが幕を開けるッ!!!!
「ゴールデンカムイ」公式サイト↓
私は北海道出身ということもあり、子供の頃には家にあった子供向けのアイヌ神話の絵本を繰り返し読んでいましたし、大人になってからは知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」を読み、その言葉の美しさに感動しました。
また北海道という地名の名付け親であり、アイヌ民族の人権を守るために尽力した松浦武四郎氏の本を読み、当時の北海道において和人達がアイヌの人達に行なっていた卑劣な行為の数々に憤慨し、自らも和人の一人として情けない気持ちになりました。
私は以前からアイヌの人達の世界観に畏敬の念を持っていましたので、このマンガで多くの人達がアイヌの文化や世界観を知ることになったことが、とても嬉しいです。
私たちは身の回りの役立つもの
力の及ばないもの
全てをカムイ(神)として敬い
感謝の儀礼を通して良い関係を保ってきた
火や水や大地
樹木や動物や自然現象
服や食器などの道具にもすべてカムイがいて
送られてきてると考えられ
粗末に扱ったり
役目を終えたあとの祈りを怠れば
災いをもたらすとされてきた
熊の神キムンカムイを送る儀礼「イオマンテ」は、野蛮な行為だとして北海道知事名による通達により1955年に禁止されましたが、2007年4月に北海道は通達を撤回しています。
今年の10月には、「イオマンテ」を題材にした映画「アイヌモシリ」が渋谷ユーロスペース他で公開されます。
この映画「アイヌモシリ」は、ニューヨーク・トライベッカ映画祭のインターナショナル・ナラティブ・コンペティション部門にて長編日本映画史上初の審査員特別賞を受賞したそうです。
監督は北海道伊達市出身の福永壮志氏。
北海道の野草といえば、私の場合は春にエゾノリュウキンカ(ヤチブキ)、ギョウジャニンニク(私が子供の頃はアイヌネギという呼び名が一般的でした)、タラの芽、ウド、フキ、ワラビなどの一般的な山菜を山で採ってきて食べるくらいでした。
しかし、ゴールデンカムイには私が子供の頃から日常的に見ていた様々な野草や樹木の効能、利用方法が描かれており、あらためてアイヌの人達の智恵の深さに驚かされました。
また、私は見るだけで食べることはなかったキタキツネ、エゾリス、野ウサギ、タヌキ、エゾシカなど多くの野生動物たちとアイヌの人達との密接な繋がりを知ることもできます。
ゴールデンカムイには、川や海の生き物についても沢山描かれており、魚の皮で作った服や靴も出てきます。
私の祖母はアイヌではありませんが、今は亡き私の祖母も子供の頃に、冬には鮭の皮で作った長靴を履いていたと言っていました。
今から100年以上前の話となるでしょう。
話しは変わりますが、私は「ゴールデンカムイ」を読んでいて「鬼滅の刃」と多くの部分において共通点があると感じました。
まず、時代設定がどちらも近代。
鬼滅の刃は大正時代、ゴールデンカムイは明治後期が舞台となっています。
そしてどちらも刀、銃などを使用した戦闘シーンが多く、凄惨な描写がありつつも、家族愛や友情が描かれ、ときにホッコリとさせられる場面もあります。
またゴールデンカムイに登場する人物は、網走監獄から脱獄した囚人など、社会からはみ出してしまったような人間が多いのですが、そこに至るまでの彼らの背景なども描かれており、しかもどこか憎めないキャラクターが多く、鬼滅の刃の鬼達と共通する部分があると感じました。
やはりヒットする作品には、何らかの共通点があるのかもしれません。
現在、7巻まで読み終えたところですが、今後の展開が非常に楽しみです。
当院には「鬼滅の刃」、「ゴールデンカムイ」ともに最新刊まで揃っておりますので、ぜひ読んでみてください。
こちらは「ゴールデンカムイ」全巻の、表紙そでに書かれている言葉。
カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム
天から役目なしに降ろされたものはひとつもない
いやぁ、漫画って本当にいいもんですね。
「キャリー・マリス博士の言葉」
今回はPCR法の発明によりノーベル化学賞を受賞した、故キャリー・マリス博士の言葉を博士の自伝「マリス博士の奇想天外な人生」から、いくつか紹介いたします。
科学とは一種の方法であり、その方法によって科学者が導き出した結論を確かめてみたいと思う人がいれば、その人には実験の手順を知る権利がある。
そして自分の手でチェックしてみることができる。
したがって科学においては、科学者が単にそう思うというだけで、結論を導き出すことは許されない。
もうテレビを消したまえ。
そして小学校の理科の教科書をもう一度開いてみよ。
科学者たちが何をたくらんでいるのか見破る必要がある。
個人は自分で考える必要がある。
人類ができることと言えば、現在こうして生きていられることを幸運と感じ、地球上で生起している数限りない事象を前にして謙虚たること、そういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。
リラックスしようではないか。
地球上にいることをよしとしようではないか。
最初は何事にも混乱があるだろう。
でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、自分にぴったりとした生き方を見つけられるようにもなるのである。
キャリー・B・マリス