「神は万事単純を好み給う。」
故中曽根康弘元首相の葬儀に、国費から9,643万円が支出されるというニュースがありました↓
「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀実行委員会及び同幹事会合同会議資料↓
https://www.cao.go.jp/others/soumu/goudousou/goudoukaigi1.pdf
この件について、1856年に出版されたアラン・カーデック編「霊の書」からの抜粋を紹介したいと思います。
「霊の書」(Spirits' Book)は、フランス人のアラン・カーデックが知人の娘さんを霊媒として交霊を行なったものの記録です。
通信霊は聖ヨハネ、パウロ、アウグスティヌス、ソクラテス、プラトン、スエーデンボルグ、真理の霊等。
この書は「シルバーバーチの霊訓」にも匹敵する内容と言われており、フランス語で書かれたため、非英語圏のフランス、イタリア、スペイン、ブラジルなどで広く読まれています。
では、今回のニュースとも関連がありそうな部分です。
問:
供物も、貧しい人の救済に捧げるなら、神には好ましいものではありませんか。
答:
神は常に善をなす者を祝福される。
貧しい者、苦しむ者を助けることは、神に仕える最善の道である。
吾等はここで、諸君が神の礼拝のためにする儀式を、神は好まぬと言うつもりはない。
しかし、そのために多額の金が使われる。
それはもっと有効に使える金である。
神は万事単純を好み給う。
心よりも外的な事に重きを置く者は、心の狭い霊である。
されば、示されている心持ちよりも、神が形を重視されるということが、いやしくもあり得ようか。
問:
葬儀に金をかけて個人の記憶を永くとどめたいという望みは、どこから来るのですか。
答:
最後の高慢の行為である。
問:
しかし、そういう盛大さというのは、死者本人より、死者の名誉をたかめようとする、親戚の行為の場合が多いのではありませんか。
答:
その場合は親戚達が自分達の名誉のためにやっているのである。
その葬儀一切は、金持ちぶりを見せびらかしたりするためである。
諸君等は、愛するものの記憶は貧者の心には永く残らないと思われるか。
貧者は墓に花を捧げてくれぬから。
諸君等は、大理石はこの世を無意味に送った者の名を、空しさより救ってくれるとお考えか。
問:
葬儀の偉大さは、どんな場合にも非難されるべきですか。
答:
いや、高貴な人生の名誉を称える場合には、正当なものである。
また、良い教訓にもなる。