「神との友情」(3/5)

公園での暮らしはとても単純でした。

最大の問題(最大の望み)は、暖かくして濡れずにいること、それだけです。

昇進も望まなければ、「女の子と知り合いたい」と思うことも、電話代で気をもむこともないし、これからの人生で何をすればいいかと悩むこともありませんでした。

雨が多かったし、3月の冷たい風が吹きすさんでいたから、とにかく身体を濡らさず、暖かくしていようとがんばるしかなかった。

ときには、どうすればそんな生活から脱出できるか考えることもありましたが、それよりも、どうすればこの生活を続けられるかのほうが大問題だったんです。

週に25ドル稼ぐのは容易なことじゃなかった。

もちろん、仕事を探そうとは思っていました。

だが、それより目の前の問題のほうが先決です。

今夜、明日、明後日をどう生き延びるか、なんですから。

首の骨を痛め、車はなく、一文無しで、食べるにもこと欠き、住む場所もない。

だが、春だったからやがて夏が来る。

それはプラスの面でしたね。

毎日ごみ箱をあさって、新聞紙だの、かじりかけのリンゴ、子供が食べ残したサンドイッチなどを探しました。

新聞紙はテントに敷くためです。

新聞紙を敷けば暖かいし、湿気が上がってこないし、地面の固さがやわらげられるし、平らになる。

だが、もっと大事なのは求人情報でした。

新聞が手に入ると、求人広告を見るんです。

首にけがをしていたから、肉体労働はできない。

だが、男がすぐにできる仕事といったら、ほとんどは肉体労働です。

日雇い、あちこちの現場の手伝いなんかばかりでした。

ところが、探しはじめて2か月したとき、金的を見つけたんです。

 

週末担当のラジオ・アナウンサー募集

経験者。連絡先・・・・・etc.

 

どきっとしましたよ。

オレゴン州メッドフォードには、放送界の経験がある失業者がどれくらいいるだろう?

公衆電話に走り、電話帳のイエローページで放送局を見つけて、貴重なコインを入れ、電話をかけました。

採用担当は編集部長のはずでしたが、不在でした。

こちらからおかけしましょうか、と相手の女性は言ってくれました。

「お願いします」わたしはできるだけラジオ向きの声を出して、求人広告を見たのだと答えました。

「4時まではここにいますから」そう言って公衆電話の番号を伝え、受話器を置くと、ボックスの横の地面に座り込んで、かかってこない電話を3時間待ちました。

翌朝、ごみ箱でペーパーバックのロマンス小説を見つけ、電話ボックスのあるところに戻りました。

1日中でも待てる態勢にしておきたかったんです。

9時に腰を落ち着けて本をひろげ、午前中に電話がかからなければ、昼食後もういちど、大切なコインを使って電話してみようと決意しました。

電話は9時35分にかかってきました。

「昨日、電話できなくてすみません」編集長でした。「どうしても手があかなくてね。ディスクジョッキーの求人広告を見たそうですね。経験はありますか?」

今度も、できるだけ響きのいい声で答えましたよ。「あちこちの放送局で仕事をしました」それから、いかにもさりげなくつけ加えました。「この20年ほどです」

このやりとりのあいだ、頼むから大型のRVがそばを通らないでくれと祈っていたんです。

なんで、リビングを大型車が通りぬけるのか説明するはめになるのはごめんですからね。

「こっちへきてもらえませんか?」編集部長はそう言いました。

「エア・チェックはもってます?」

エア・チェックというのは、音楽をぬいたディスクジョッキーのデモテープのことです。

相手は関心をもってくれたんです。

「いや、ポートランドに置いてきましたんで」わたしはごまかしました。

「しかし、コピーをくだされば即興で読みますよ。そうすれば、判断していただけるでしょう」

「いいでしょう」彼は同意しました。

「じゃ、3時ごろに来てください。4時には出かけなきゃならないので、遅れないように頼みます」

「わかりました」

 

 

つづく。

 

 

 

 

「神との友情」(2/5)

2日後、最後に残った数ドルをかき集めて、サザン・オレゴン行きのバスの切符を買いました。

別れた妻のひとりが、子供3人と暮らしていたんです。

彼女に助けてくれ、なんとか立ち直るまで、あいた部屋に数週間泊めてくれないか、と頼みました。

断られましたよ。

あたりまえですが。

もうほかに行くところがないんだ、と言うと、彼女は言いました。

「テントとキャンプ用品を使ってもいいわ」

そんなわけで、オレゴン州アッシュランド郊外にあるジャクソン・ホット・スプリングズの中央の広場にたどり着いたってわけです。

そこでは週に25ドルでキャンプさせてくれるんですが、その金がわたしにはなかった。

管理人に金をかき集めるまで数日待ってくれないか、と頼み込んだらびっくりしていましたよ。

公園は放浪者で満員で、それ以上は入れたくなかったんでしょうが、彼は話を聞いてくれました。

火事のこと、交通事故で首を痛めたこと、車を盗まれたこと。

信じられないほどの不運の連続に気の毒に思ったんでしょうね。

「よし、数日待ってやろう。どうにかできるか、やってくるといい。あそこにテントをたてな」

そう言ってくれたんです。

わたしは45歳で、もう人生は終わりだと感じていました。

放送界で専門職として良い給料をとり、新聞の編集長になり、全国でも有数の学校システムで広報を担当し、エリザベス・キューブラー・ロス博士の個人アシスタントを経験したのに、道路や公園でビールの缶やソーダの空き缶を拾い、1個あたり5セントの返金を稼ぐまでに落ちぶれたんです(空き缶20個で1ドル、100個で5ドル、500個拾うと、キャンプ料金になりました)。

あそこで過ごした1年近くのあいだに、路上生活にだいぶくわしくなりました。

実際には路上生活をしていたわけではありませんが、すれすれの暮らしですからね。

道路や橋の下や公園の暮らしにも規範があると知り、世間の人びとも同じ規範を守れば世界が変わるだろうと思いましたよ。

その規範というのは、助け合うということです。

宿なし生活を数週間も続けると、同じ境遇のひとたちと知り合いになります。

個人的なことはべつですよ。

誰もどうしてそんな生活をすることになったか、なんて聞きはしません。

だが、困っていれば、屋根の下で暮らしているひとたちのように知らん顔はしません。

足を止めて、「だいじょうぶかい?」と聞いてくれます。

最後に残った乾いた靴下をくれたひとも、こっちがその日の「ノルマ」を果たせなかったと知って、半日歩きまわって缶を集めて得た金をくれたひともいました。

誰かが(通行人に5ドルか、10ドル恵んでもらう、というように)大儲けをすると、キャンプ地に戻ってきてみんなに食べ物をふるまうんです。

最初の晩、寝場所をつくろうと奮闘していたときのことを覚えています。

着いたときは、もう薄暗くなっていました。

さっさとすませなければならないのはわかっていましたが、テントをたてた経験がそうあったわけじゃなかった。

風が強くて、雨も降りそうでした。

「あそこの木の下にしな」どこからともなく、しゃがれ声が聞こえてきました。

「それから、あの電柱にロープを張るんだ。ロープに印、つけとけよ。夜中にトイレに起きたとき、自分の首を吊らんようにな」

小雨が降りはじめました。

気づいたら、二人でテントをたてていましたよ。

名前も知らないその友人は、必要以外の口はきかず、「ここに杭を打たんと、な」とか「入り口のシートは上げといたほうがいい。寝てるまに水びたしになる」などと言うだけでした。

テントができあがったとき(ほとんどの作業は彼がやってくれたんです)、彼はカナヅチを地面に放り出し、「これでいいだろ」とつぶやいて、行ってしまいました。

「ありがとう、助かったよ」私はその背中に声をかけました。「あんた、名前は?」

「そんなことはどうでもいいよ」彼は振り返りもしませんでした。

それっきり、彼に会ったことがありません。

 

 

つづく。

 

 

「神との友情」(1/5)

先日、某youtubeチャンネルの動画内での発言が炎上していました。

その発言内容を見て、私が多大な影響を受けた「神との対話」シリーズの著者、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書「神との友情(下)」を思い出しましたので、その内容を転載いたします。

若干長くなりますので、今回は数回に分けて紹介いたします。

 

ニール・ドナルド・ウォルシュ - Wikipedia

 

「神との友情(下)」第16章

ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書は、基本的に神との対話形式で書かれる。

細字はニール、太字は神の言葉。

なお、神の言葉は本記事の最終回まで出てきません。

 

 

前半部分は省略。

 

そうですね。

わたしも・・・・何しろ、そう、ひどくもなかったかな。

だが、ひとに安らぎを与えてはきませんでした。

1980年代はじめでさえ、少しは人間的に成長したと思ったころでさえ、学んだことを実践してはいなかった。

わたしはまた結婚し、テリー・コール・ホイッテイカー・ミニストリーズを離れ、サンディエゴの喧噪を離れて、ワシントン州のクリックキタットという小さな町に移り住みました。

だが、そこでも人生は、あまりうまくいかなかった。

理由の大半は、私が一緒にいて安らげる人間じゃなかったからです。

利己的で自分が欲しいものを得るために、すべての瞬間、すべてのひとをあやつろうとしていた。

すべてをやり直そうとオレゴン州ポートランドに引っ越したときも、たいして変化はありませんでした。

事態は改善するどころかますますややこしくなり、おまけに妻と住んでいたアパートが大火事にみまわれて、もっていたすべてをなくしてしまったんです。

それでもまだ、終わりではなかった。

結婚生活は破綻し、べつの関係がいくつかできて、それも破綻しました。

溺れかけた人間が、もがいてまわりの人間をまきぞえにしているようなものでした。

今度こそ、これ以上悪くなるはずがないと思いました。

だが、まだ甘かった。

80歳の老人が運転するスチュードベイカーと正面衝突、首の骨を痛めました。

フィラデルフィア・カラーに1年入院し、何ヶ月かは毎日、それから何ヶ月かは1日おきに厳しい理学療法を受け、さらに週に2回ずつ通い、ようやく治療は終わりました。

そのときは、人生のほかのすべても終わっていた。

収入を得る道はなくなり、最後の人間関係も壊れ、ある日気づいてみたら、車まで盗まれていました。

まさに「泣きっ面にハチ」で、あのときのことは一生忘れないでしょうね。

つぎからつぎへと襲ってくる厄災にうちのめされたわたしは、駐車場所を間違えているのではないかという望みにすがって、道路をあちこち歩きまわりました。

だがやっぱり盗まれたんだとあきらめたときは、口惜しさと怒りで舗道に膝をついてわめきましたよ。

通りがかりの女性がびっくりして、通りの向こう側に逃げていきましたっけ。

 

つづく。

 

 

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「日本政府、アフガニスタンに自衛隊機派遣を決定。」

先日の記事でアフガニスタン在留邦人が心配ですと書きましたが、日本政府が邦人の国外退避のため自衛隊機を派遣することを決定したようです。

日本大使館国際協力機構(JICA)で働いていた現地スタッフとその家族らも、本人の希望を踏まえ対応するようです。

現地での混乱は今後更に拡大する可能性があるので単純に喜べない部分はありますが、邦人、現地人スタッフに関してはとりあえず安心しました。

退避先は中東のカタールとする方向で検討中。

 

www.sankei.com

 

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 8月26日追記:

まだ状況は予断を許さないようです。

news.yahoo.co.jp

 

f:id:hakusanoste:20210826221803p:plain

 

8月29日追記:

www3.nhk.or.jp

 

 

 

 

 

 

「シルバーバーチは語る」

今回は「シルバーバーチは語る」より、第4章「明日の世界」を紹介いたします。

この内容は20世紀前半にシルバーバーチにより述べられたものですが、21世紀の現在でも全く色褪せることなく、ますます輝きを放っています。

  

シルバーバーチ霊とは

 

 

シルバーバーチは語る」第4章「明日の世界」

 

〔人類が霊的法則に目覚め、その指し示す方向へ忠実に生きるようになった時の世界はどういう世界であろうか。

新しい世界は一人の独裁者、一つの政府、あるいは国際連盟のような組織によってコントロールされる性質のものでないことは明らかである。

人間各個による努力の結果として誕生するものであろう。

その時の喜びがいかなるものであるか、それをシルバーバーチに語ってもらおう〕

 

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。

何事につけ誕生には苦しみが伴うものです。

新しい秩序の誕生にも大きな苦しみが伴います。

その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してまいります。

 

しかし間違いなく言えることは、その新しい世界の種子がすでに地上界に根づいているということです。

既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。

エスは「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べております。それがもうすぐ実現しようとしています。

 

これからも地上には幾つもの大変動が生じます。

崩壊もあれば隆盛もあるでしょう。

皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかも知れません。

「大変な時代になった……」そうおっしゃるかも知れません。

しかし、そうした変動の背後には地上世界へ向けての大きなエネルギーの働きがあるのです。

 

こうして地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せていただいております。

それを受け入れる能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。

私が見せていただいた未来像に比べると現在の地上世界がとても醜く見えます。が、私には地上世界はこれほどまで立派になり得るのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。

あとは“時間”の問題です。

それを早めるのも遅らせるのも人類の自覚一つに掛かっております。

 

そのうち、政治も宗教も科学も学問もある一つのものの側面に過ぎないことが理解できる、新しい人類が現れるでしょう。

その人類にとっては痛みも心配も喪の悲しみも不幸もなく、笑顔と明るい笑い声の世界となるでしょう。が、現段階の不幸に満ちた地上世界で最も人徳があるとされる人間は、他人の悲しみを取り除き生活を楽にしてあげられる人です。

それほど不幸な人が多いということです。

これまでの人間は、何か良いものを手に入れると、それを人のために使用せずに独り占めにしようと画策し、結果的には、いずれ崩壊するに決まっているような社会組織を構築しようとしてきました。

なぜなら、その基盤が間違っているからです。

 

大霊からいただいた資質を発達させ、それを人のために役立てる方向で使用するようになれば、永遠なるものを基盤とした社会組織が構築されるでしょう。

私たちが説いていることは決して新しいものではありません。

霊的な視野をもつ人々がずっと説き続けている古くからある真理です。

それを大方の人間がかえりみようとしなかっただけです。

そこで私たちが改めて説き、大霊の摂理というものがあることを指摘する必要が生じたのです。

人類は自らの間違った考えによって地上界を破滅の寸前にまで追いやっております。

 

今こそ人類は大霊とその摂理へ回帰しなくてはいけません。

イヤ、すでに回帰しつつあります。

私の目には、ゆっくりとではありますが、大霊の摂理が地上界に具現しつつあるのが見えます。

 

何よりもまず人類が知らなくてはならないのは、大霊の恩寵はみんなで分け合わなくてはいけないということです。

現在の地上には今日の食べものに事欠く人がいる一方で、有り余るほど貯えている人がいます。

もちろんこれは間違っています。

余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。

別に難しいことではないと思うのですが……

 

また既得権を取り壊す必要があります。

摂理は寸分の狂いもなく働きます。

あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。

あなた方だけではありません。

人間の全てに言えることです。

それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、私は可能だと申し上げます。

それが人間としての正しい生き方だからです。

摂理は完ぺきで、ごまかすことは出来ません。

その摂理を一つでも多く学び、それを実行に移さなくてはいけません。

 

長いあいだ人類は、本当は取り壊すべきものを構築することに自由意志を行使してきました。

その結果として生じた暗闇に、今ゆっくりと大霊の光が射し込みつつあり、混乱と無秩序の中から新しい世界が生まれつつあります。

そこには最早や持つ者と持たざる者といった不平等も不公平も差別もなく、大霊からのたまものが全ての子等に平等に分け与えられるようになることでしょう。

 

その新しい世界をどのような用語で呼んでも構いません。

要するに大霊の意思に適った世界の成就―大霊の霊力はもとより、新しいタイプの喜び、新しいタイプの人生、新しいタイプの幸せを求める誠心誠意の人間の貢献によって、これ以上霊界へ“出来損ない”(死後に地縛霊となってしまうような人間)を送り込まなくなるような世界のことです。

 

時としてその誠心誠意の努力が無駄に終わっているような感じを抱かれることがあるかも知れません。

しかし、そういう時でも、世界中のあらゆる所で、あらゆる人々が、自覚するしないに関係なく、新しい世界の夜明けのために活用されているのです。

大霊は我が子が破滅の道へ向かうのを黙って見ているわけには行かないのです。

私があなた方に援助をお願いするのはそのためです。

そうした努力を“政治”と呼ぶかどうかは、私には関心はありません。

とにかくそうした働きかけは絶え間なく続けられています。

地上界と霊界の協力です。

もはやそれをストップさせることは不可能です。

 

そうした一体の努力で私たちが物質界の到るところで大きな仕事を成就していることを誇りに思っております。

悲しみに暮れていた心が明るくなっております。

地上の暗闇に光が射し込んでおります。

知識が無知を、まだ僅かではありますが、駆逐しております。

生きる意欲を失った人々を勇気づけ、人生に疲れた人々に力を与え、道を見失っている人々に導きを与え、同胞のためにボランティア的に働いている人々には援助を与えると同時に、その背後には、大霊とその子等のための仕事を鼓舞する霊の大軍が控えているとの自覚を植えつけようとしております。

 

また私がうれしく思うのは、皆さんが愛しまた皆さんを愛している霊界の人々をこのサークルにお連れして、その人たちが決してこの宇宙から消えてなくなったわけではないこと、死によって愛と情愛と友愛で結ばれている人々が引き裂かれるどころか相変わらず結ばれ続けていることを、これまで以上に確信させてあげることが出来ていることです。

 

私たちの影響力がどれほど広範囲に広がっているかをお見せできないのが残念です。

地上界と霊界とのこうした結びつきを邪魔している障害を取り壊し、障害物を取り除き、そして知識をもたらすことが出来ております。

人類を霊的に、精神的に、そして身体的にも自由にする、至って単純な真理です。

ご存じのように私たちはただお役に立てば、それだけで満足なのです。

無償の献身を通してのみ、地球人類は救われるのです。

サービスです。

 

ここで改めて申し上げておきたいのは、私がただの道具に過ぎないということです。

真理、単純な霊的真理、あなた方人間も全生命の源である大霊の一部であるとの認識を植えつけてあげたいと望んでいる大きな霊団の一人に過ぎないということです。

大霊はあなた方の内部にあるのです。

神性という遺産を引き継いでおり、その潜在的神性が宿されているからこそ大霊の恩寵にあずかる資格があるということ、さらに、それ故にこそその神性を妨げる障害物や慣習を廃絶しなければならないのです。

私たちの仕事は魂と精神の自由だけを目的としているのではありません。

物的身体も病という束縛から解放してあげることが目的の一つです。

 

そういう仕事に私たちは献身してきたのです。

それが私たちのいうサービスです。

私はあくまでも道具の一つに過ぎませんが、私を通して人類に役立つ真理が届けられることを光栄に思っております。

皆さんとともにその仕事に携わってきて何年かになりますが、これからもまだまだ続きます。

地上界の皆さんと霊界の私たちの連帯によって、今こそ地球人類が必要としているものをお届けしてまいります。

あなた方はすでに知識をお持ちです。

霊的真理を手にされています。

そして、そうした霊的知識には、それをさらに価値あることのために使用する義務が伴うことを忘れないでください。

 

あなた方の説く真理が疑いを差しはさまれた時は、それには神性のスタンプが押されていること、そして又、その理由は私たちが常に人間の理性に訴えていることを思い出してください。

言い変えれば、私たちがお届けするメッセージが、あなた方の品位を落とさせたり知性を侮辱したり、サービスと善性と誠実さの道に背を向けさせるような要素はみじんもないということです。

それどころか、人間に内在する神性を認識させ、大霊とのつながりを自覚させることによって、その神性があなた方の日常の行為の全てを律するようにと願っているのです。

 

霊的真理を常に意識している人たちが一致団結して、物質界に立ち込めている無知の霧を晴らすためにその力を使用すれば、どれほど大きな仕事が出来ることでしょう。

善性と有用性とサービスの勢力は常にあなた方の味方であることを自覚して、自信をもって前進してください。

 

我々の前途にはサービスの分野がいくらでも広がっております。

多くの人がお座なりの説教を捨て、古い信仰を信じず、理性的懐疑に耐え得る真理を求めながらも、いずこへ向かえばそれが得られるか、迷いに迷っております。

そういう人々にこそ霊的真理と霊的摂理をお届けするのです。

内部に宿る霊的資質に気づかせ、自分も神であるということはどういうことなのかを理解させ、憎悪の復讐心に燃える神の前にひれ伏すような卑屈な信仰心を永久に捨て去るように指導してあげることです。

 

要するに私たちは、大霊の子等のために役立ちたいと願う地上の有志との協調関係を求めている霊的勢力の存在を認識していただき、霊的真理を武器として迷信の全て、暗黒の霧の全てと闘い、霊的真理の光で地上界を照らしていただきたいのです。

それが私たちの仕事なのです。

私たち地球浄化の大軍には霊力という武器があります。地上界の有志を鼓舞し、導き、心の支えとなり、飢えた魂に心の糧を与え、病に苦しむ人々に癒しを与え、全ての人にインスピレーションと啓示と叡智をもたらすことが出来ます。

 

人間の側に理解力と受容力がそなわれば、その能力に応じて霊力で満たしてあげることが出来ます。

教会に属していようといまいと、どこかの宗教に属していようといまいと、科学者であろうと唯物論者であろうと哲学者であろうと、そうしたラベルにはお構いなく、受け入れる能力のそなわった人を一人でも多く見出して協力者に仕立てて行く用意があります。

 

  

https://spiritualism-books.jp/sb-teachings/

 

 

 

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