「神との友情」(1/5)
先日、某youtubeチャンネルの動画内での発言が炎上していました。
その発言内容を見て、私が多大な影響を受けた「神との対話」シリーズの著者、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書「神との友情(下)」を思い出しましたので、その内容を転載いたします。
若干長くなりますので、今回は数回に分けて紹介いたします。
「神との友情(下)」第16章
ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書は、基本的に神との対話形式で書かれる。
細字はニール、太字は神の言葉。
なお、神の言葉は本記事の最終回まで出てきません。
前半部分は省略。
そうですね。
わたしも・・・・何しろ、そう、ひどくもなかったかな。
だが、ひとに安らぎを与えてはきませんでした。
1980年代はじめでさえ、少しは人間的に成長したと思ったころでさえ、学んだことを実践してはいなかった。
わたしはまた結婚し、テリー・コール・ホイッテイカー・ミニストリーズを離れ、サンディエゴの喧噪を離れて、ワシントン州のクリックキタットという小さな町に移り住みました。
だが、そこでも人生は、あまりうまくいかなかった。
理由の大半は、私が一緒にいて安らげる人間じゃなかったからです。
利己的で自分が欲しいものを得るために、すべての瞬間、すべてのひとをあやつろうとしていた。
すべてをやり直そうとオレゴン州ポートランドに引っ越したときも、たいして変化はありませんでした。
事態は改善するどころかますますややこしくなり、おまけに妻と住んでいたアパートが大火事にみまわれて、もっていたすべてをなくしてしまったんです。
それでもまだ、終わりではなかった。
結婚生活は破綻し、べつの関係がいくつかできて、それも破綻しました。
溺れかけた人間が、もがいてまわりの人間をまきぞえにしているようなものでした。
今度こそ、これ以上悪くなるはずがないと思いました。
だが、まだ甘かった。
80歳の老人が運転するスチュードベイカーと正面衝突、首の骨を痛めました。
フィラデルフィア・カラーに1年入院し、何ヶ月かは毎日、それから何ヶ月かは1日おきに厳しい理学療法を受け、さらに週に2回ずつ通い、ようやく治療は終わりました。
そのときは、人生のほかのすべても終わっていた。
収入を得る道はなくなり、最後の人間関係も壊れ、ある日気づいてみたら、車まで盗まれていました。
まさに「泣きっ面にハチ」で、あのときのことは一生忘れないでしょうね。
つぎからつぎへと襲ってくる厄災にうちのめされたわたしは、駐車場所を間違えているのではないかという望みにすがって、道路をあちこち歩きまわりました。
だがやっぱり盗まれたんだとあきらめたときは、口惜しさと怒りで舗道に膝をついてわめきましたよ。
通りがかりの女性がびっくりして、通りの向こう側に逃げていきましたっけ。
つづく。
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