「シルバーバーチの霊訓より--戦争について」
今回は「シルバーバーチの霊訓(5)」より、一人の質問者が第二次世界大戦開戦前にシルバーバーチに対して質問した内容をご紹介いたします。
質問者:
戦うことは正しいことだと思いますか?
私はつねづねたった一つのことをお教えしております。
動機は何かということが一番大切だということです。
そうすることが誰かのためになるのであれば、いかなる分野であろうと、良心が正しいと命じるままに実行なさることです。
私個人の気持ちとしては生命を奪い合う行為はあってほしくないと思います。
生命は神のものだからです。
しかし同時に私は、強い意志をもった人間を弱虫にするようなこと、勇気ある人間を卑劣な人間にするようなことは申し上げたくありません。
すべからく自分の魂の最高の声に従って行動なさればよいのです。
ただし、殺し合うことが唯一の解決手段でないことを忘れないでください。
質問者:
例えばもし暴漢が暴れ狂って手の施しようがない時は殺すという手段もやむを得ないのではないでしょうか。
あなた方はよく、ある事態を仮定して、もしそうなった時にはどうすべきかをお尋ねになります。
それに対して私がいつもお答していることは、人間として為すべきことをちゃんと行っていれば、そういう事態は起きなかったはずだということです。
人間が従うべき理念から外れたことをしながら、それをどう思うかと問われても困るのです。
私たちにできることは、真理と叡智の原則をお教えし、それに私たち自身の体験から得た知識を加味して、その原則に従ってさえいれば地上に平和と協調が訪れますと説くことだけです。
流血の手段によっても一時的な解決は得られますが、永続的な平和は得られません。
血に飢えて殺人を犯す人間がいます。
一方、自由のための戦いで殺人行為をする人もいます。
そういう人の動機に私は異議を唱えません。
どうして非難できましょう。
明日の子供のために戦っている今日の英雄ではありませんか。
私にできることは真理を述べることだけです。
だからこそ政治的レッテルも宗教的ラベルも付けていないのです。
だからこそどこの教会にも属さず、いわゆる流派にも属さないのです。
人間は自分の良心の命じる側に立って、それなりの役目を果たすべきです。
どちらの側にもーー敵にも味方にもーー立派な魂を持った人がいるものです。
ですから、動機とは何かーーそれが一番大切です。
こうすることが人のためになるのだと信じて行うのであれば、それがその人にとっての正しい行為なのです。
知恵が足りないこともあるでしょう。
しかし、動機さえ真剣であれば、その行為を咎められることはありません。
なぜなら魂には、その一番奥にある願望が刻み込まれていくものだからです。
私は常にあなたがた地上の人間とは異なる規準で判断していることを忘れないでください。
私たちの規準は顕と幽のあらゆる生活の側面に適用できる永遠に不変の規準です。
時には悪が善を征服したかに思えることがあっても、それは一時的なものであり、最後には神の意志が全てを規制し、真の公正が行きわたります。
その日その日の気まぐれな規準で判断しているあなた方は、その時々の、自分が一番大事だと思うものを必要以上に意識するために、判断が歪められがちです。
宇宙を大いなる霊が支配していることを忘れてはなりません。
その法則がこの巨大な宇宙を支えているのです。
大霊は王の中の王なのです。
その王が生み神性を賦与した創造物が生みの親をどう理解しようと、いつかはその意思が成就されてまいります。
地上の無益な悲劇と絶望の有様を見て私たちが何の同情も感じていないと思っては困ります。
今日の地上の事態を見て心を動かされなかったら、私たちはよほど浅はかな存在といえるでしょう。
しかし私たちはそうした地上の変転きわまりないパノラマの背後に、永遠不変の原理を見ているのです。
どうかその事実から勇気を得てください。
そこにインスピレーションと力とを見出し、幾世紀にもわたって善意の人々が夢見てきた真理の実現のために働き続けてください。
その善意の人々は刻苦勉励してあなた方の世代へ自由の松明を手渡してくれたのです。
今あなた方はその松明に新たな炎を灯さなくてはならないのです。
次回はニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話①」の内容をご紹介いたします。