「北欧訪問記(5)」
フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく)
人口 547万人
通貨 ユーロ
首都 ヘルシンキ
面積 33万8144平方キロメートル(日本の9割ほどの大きさ)
公用語 フィンランド語、スウェーデン語
北欧諸国のひとつであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、
南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置する。
実はフィンランドは、日本から最も近いヨーロッパの国である。(おもな成田から
ヨーロッパ主要都市への所要時間はヘルシンキ10時間20分、アムステルダム
11時間35分、ウィーン11時間55分、パリ12時間、ミュンヘン12時間15分、
ロンドン12時間35分、ローマ12時間50分 など)
歴史的にはスウェーデン、ロシアに支配されていた時代を経て1917に独立を
果たすが、第二次世界大戦でソ連と戦うこととなる。
休戦協定を結ぶも、ソ連から2億ドルもの多額の賠償金を課せられてしまうが、
期限の約半分の6年間で支払い切る。
その後は政治的、経済的にも安定して言わずと知れた世界有数の先進民主主義、
福祉国家となった。
教育水準は高く、1クラス20人程度の少人数制、試験は行わない、徹底して
落ちこぼれを出さないように配慮するなどの、フィンランド独特のスタイルで
学力レベルは世界的にもトップクラス。
ほとんどの国民がフィンランド語、スウェーデン語、英語を話すことができる。
サウナはフィンランドが発祥の地で、シャイで話し下手と言われるフィンランド人
の社交の場ともなっている。
フィンランドで有名なものとしては、サンタクロース、ムーミン、マリメッコ、
イッタラ、ノキアなど。
また、エア・ギター世界選手権大会、携帯電話投げ世界選手権大会や
奥様運び世界大会などのユニークなイベントが多いことでも有名。
では、フェリーでタリンを発ちヘルシンキに着いてからのおはなし。
フェリーターミナルの前にはトラム(路面電車)の駅があり、そのトラムに
乗ってヘルシンキ中央駅へと向かいます。
トラムに乗り込む際には、運転手さんにヘルシンキ中央駅に止まるかどうかを
確認して乗ったのですが、うっかり乗り過ごしてしまいます。
私は首都の中央駅なのだから、Helsinki stationとかCentral stationのような
分かりやすい駅名なのかと勝手に思い込んでいましたが、Rautatietieasema
Jarnvagsstationenと車内に表示されていた駅が、どうやらヘルシンキ中央駅
だったようです。
しばらくトラムに乗っていると、明らかに中心部を離れていくのがわかります。
他の乗客に路線図を見せて「中央駅はどこ?」と聞くと、前述の長い駅名の
ところが中央駅だと教えられ、「このまま乗っていれば、またそこまで戻るよ。」
ということで、結局ほぼその路線を1周して20分ほどで着くところを、1時間
近くかけて、ようやく中央駅にたどり着きました。
駅に着くと、まずコインロッカーに荷物を預けてから外に出ます。
この日もみぞれ混じりの雪模様、さらに風も強い。
北欧に来てから、まだ一度も太陽を見ていません。
駅前の広い通りを歩いていくと、右手にはcrocsやappleの店舗が見えます。
更に進むとトラムの線路があり、その先にはmarimekko、その横にはnissen?
あの通販のニッセンがフィンランドの進出?と思ったら、地元のメガネ屋さん
でした。
nissen ってフィンランド語で、どういう意味なんだろう?
marimekkoのある通りを左に曲がり、トラムの線路に沿って歩いていくと港が
見えはじめ、港の横には屋内市場のオールド・マーケットホールがあります。
マーケット・ホールの中では魚介類、野菜ほか様々な食品が売られていました。
私は体も冷えていたので、ここにあるスープ専門店でシーフードスープを注文。
エビ、貝、サーモンなどがたくさん入ったスープで体を温めます。
その後オールドマーケット・ホールを出て、北欧最大のロシア正教の教会である
ウスペンスキー寺院へと向かいますが、風と雪に気持ちが萎えてしまい途中まで
歩いて、教会が見えてきたところで写真を撮り、引き返してしまいました。
ウスペンスキー寺院のあとは、ヘルシンキ大聖堂と元老院広場、ヘルシンキ大聖堂は
ルーテル派の本山となる教会で1852年に30年の歳月を費やして完成したそうです。
その前には、ロシア皇帝アレクサンドル2世の像がある元老院広場。
エストニア同様、ここにもロシアの影響が見られます。
その当時ロシアは、日本海側では東の軍事拠点としてウラジオストク港を開港して
いるのですから、どれほどの国力があったのでしょう。
ヘルシンキ大聖堂と元老院広場を見たあとは、いったん中央駅の方向へと戻ります。
つづく。