「石坂流針術(1)」

当院に来る方に時々聞かれる質問に「先生、鍼って効果があると思いますか?」 というものがあります。 彼らの中には過去に鍼治療で良くなった方、変わらなかった方、若い頃は効いたが 年齢を重ねるごとに効かなくなっていった方など、さまざまです。 私は鍼治療に関して勉強したことがないため、詳しく説明することは出来ませんが このような感じで答えています。 「私の治療理論から言えば、ピンポイントで何らかの障害があり、その部分に的確に  刺すことが出来れば、ある程度の効果は見込めると思います。  しかし、筋膜が全体的に硬化している場合などは効果は薄いでしょう。  また筒を通して細い鍼を浅く打つ日本式のものよりも、中国式の太くて長めの鍼を  ある程度の深さまで刺す治療法の方が、効果が高いはずです。  ただ、鍼では症状を取ることは出来ても、骨格まで調整するのは難しいと思うので  全身的に体を本来の健康な状態に戻すには、やはりオステオパシーの方が効果が  高いと思います。」 と、最後にオステオパシーのPRをして終わります。 鍼治療は中国が発祥の地で、その後日本に伝来しました。 現在の筒を通して細い鍼を刺す方法は、鍼を刺す際の痛みを軽減するために、 日本において考え出されたものです。 私のこれまでの知識では日本式の鍼治療といえばこのように、ほそ~い鍼を筒を 通してトントンと軽く刺すものだと思っていましたが、当院に来ている方に 「石坂流針術」という鍼の流派を教えていただきました。 その方の知人は20年ほど前に癌が見つかり、病院では当然のことながら手術に よる切除と抗癌剤治療を勧められました。 しかしその方はどうしても切るのが嫌で、家族や友人など周囲の人達の猛反対を 押し切って、下記に書かれている「石坂流針術」の最後の継承者となった町田栄治 先生の治療を受け、癌を克服したそうです。 町田栄治先生は故人ですが、当時は長野県で畑を耕しながら難病の人達を 自宅に住まわせて、「石坂流針術」の治療により治癒させていたそうです。 私に「石坂流針術」を教えてくれた方が、メールで詳しい内容が載っているPDF ファイルを送ってくださったので、その内容を以下に転載いたします。 自律神経雑誌  Vol. 13 (1966) No. 12 P 13-14 「石坂流針術」 一、 由来- 石坂流針術は江戸末期、一九世紀初頭、将軍の針医であった石坂宗哲先生に 源を発する。 先生は非常な勉強家で、オランダの医官シーボルトと学術上の深い交渉をもち、 伝統的針術の枠をのりこえて、時代の変遷に応じた現実的な新しい針術を 創り上げた。 町田栄治先生は、その五代目の継承者である。 白米食のようやく普及した当時の江戸には、従来の手技では歯が立たないような 慢性病が増え、このような一段と強力で周到な新しい手技の出現が要求された ためと思われる。 まして、現代の不良食品や薬剤でいためつけられて麻痺し切った身体は、尋常な 方法では、びくともしないのは当然である。 今日、我々が益々石坂流の必要性を痛感するのは、このためである。 二、 硬結即疾病- 病気は経絡の流通不全による不均衡として現われる。 経絡の流通不全の箇所には硬結が生じており、それは必ず皮胱面からその一端を 何らかの形で触知出来る。 三、 触診によりじかに確かめられたこの硬結が、針を刺す対象なのである。 脈診も病名も症状も硬結を見つけ出す手がかりにはなるが、これらだけでは刺針点は 決められない。 刺針点の決め手は、あく迄硬結の位置である。 硬結の位置が移動すれば刺針点も変る。 四、 治療が進行して最後に残った腎命の硬結迄消失させれば治癒であり、経絡の真の 均衡が達成される。 硬結の残っている限り、経絡の真の安定はありえない。 治療直後には一時安定するように見えることがあっても、それは見かけの上の 安定で、やがては必ずくずれる。 脈診判定では、必ず硬結による判定の裏付けを伴わなければならない。 五、 硬結は経絡の流通を阻害しているだけでなく、骨の配列まで乱し体形を歪める。 硬結を一つ一つ除去し体形を正常に復させる石坂流は、さながら生体を対象と する彫刻術の観がある。 六、 使用する針は、神戸源蔵師製の銀針である。 七、 散針による軽刺激を全身に施し、全身状態の向上をはかる。 八、 特効穴を用いて特定の症状だけを即座に除去させる局所療法は、危険なこととして 避け、専ら全身状態を根本的に向上させるように努める。 九、 専ら脊椎周囲の硬結を除去することにより、中枢と末梢間の流通を正常に復させる 目的で、主に次の部位を行う。 (1)背部 胃兪(胸椎第12両側)を中心にして脊椎両側の硬結を刺す。 胃の機能の回復を治療の第一歩と考える。 (2)骨盤部 特に仙骨孔の石灰化によるふさがりを太い針で開通させる。 その効果は病的体制を根本的にゆり動かし、脳循環を良好にする。 (3) 頸部 頸椎周囲の硬結を前後左右上下、あらゆる角度から刺す。 天柱、人迎、肩井等が最も重要である。 頸部治療が全身状態に非常に大きな効果を与えることを、忘れてはならない。 (4) 腹部 主として臍の深部にある硬結を深く刺して除去する。 腹部の硬結は後頸部、背部、仙骨部の硬結と表裏一体をなしている。 十、 針の外科- 骨に付着した硬結は多く骨化、石灰化しているので10番針位の太い針を用いて 針先が骨に届く迄、繰り返し根気よく刺入する。 骨膜又は変質した骨自体に刺入することも、骨の機能を高めるから効果的である。 十一、 反応を恐れない- 治療後に症状が悪化したように見えることがあるが、針の反応であり効果の現われ はじめた証拠であるから、安心して反応期の過ぎるのを待つがよい。 十二、 針の適応症はすべて- 針は慢性病には効くが急性病は適応症ではないと考える人もあるが、これは まちがいである。 慢性病は急性病の進んだものである。 慢性病が治るのだから、急性病はもっと容易に治るのである。 更に予防は、もっと容易だといえる。 外傷以外はすべての病気が針の適応症である。 十三、 以上のように、石坂流は簡潔素朴である。 要するに全身に散針を施しながら、硬結部位だけを刺せばよい。 病名は分らなくとも治療には一向差支えない。 従って手技さえ体得すれば、別に難かしい学問もいらず、素人でも主婦、子供に さえ、短時日で軽い病気位は治せるようになる。 経験を積めば積む程、効果は確実に上っていく。 誠に大衆的庶民的針術でもある。 病気の予防法と簡単な治療法位は、各家庭で自ら行えるようにしたいものである。 そのためにはこのような容易にして効果の確実な技術こそ、義務教育で子供の時から 習わせるべきである。 (文献) 「漢方の臨床」第一〇〇号記念特集号所載、間中喜雄博士の「石坂宗哲の伝記」 「自律神経雑誌」一九六五・八月〜一九六六・四月に連載した町田栄治先生筆 「石坂流の技法」及び同誌一九六五・一二月所載、後藤光男「石坂流針術の  実際についての私見」(石坂流研究会)第二、第四日曜、来会歓迎 以上が自律神経雑誌に記載された「石坂流針術」の概略です。 この「石坂流針術」の創始者である石坂宗哲の生没年を調べてみると、 1770年~1842年となっていました。 以前に記事を書いた二宮彦可の生没年は1754~1827年、各務文献は 1755~1819と、この時代の日本には多くの優れた治療家が誕生していた ようです。 ちなみにオステオパシー創始者、A・T・スティルの生没年は1828~1917年です。 上記の記事の内容を読むと、私の治療理論に類似している点が数多く含まれます ので、次回は白山オステオパシーのホームページの内容や、私の過去のブログ 記事の内容と比較しながら、「石坂流針術」と私の理論・実践との類似点、相違点を 考えてみたいと思います。 <関連記事>   「オステオパシーの源流は日本?」
  「オステオパシーの源流は日本?(2)」
  「オステオパシーの源流は日本?(3)二宮彦可と正骨範その1」
  「オステオパシーの源流は日本?(4)二宮彦可と正骨範その2」
  「オステオパシーの源流は日本?(5)二宮彦可と正骨範その3(最終回)」
  「オステオパシーの源流は日本?(番外編-各務文献その1)」