「回峰行のようなもの」(3/3)
今回は比叡山の山麓にある坂本地域と回峰行のルートにも入っている日吉大社、そして延暦寺東塔へと向かう本坂です。
坂本地域の地図
私が歩いた大宮谷林道、本坂も描かれています。
日吉大社のマップ
西本宮
東本宮
では前回のつづきです。
88,日吉大社近くの案内板
大宮谷林道を下り、左手に行くと比叡山高校横の石段に出ます。
この石段を降りたところにある案内板です。
14:17
この地蔵尊は変じて真盛上人(西教寺開山)として現れ、入寂の後に再び地蔵尊に復されたと言われている。
伝教大師が童子教育に心を注がれながら彫まれたので「子育て地蔵」とも呼ばれている。
14:19
90,早尾神社
子育て地蔵尊横の石段を上がったところ。
14:21
現在修復中のため、御祭神のスサノオノミコトは大物忌社へおうつり中。
91,日吉大社大鳥居
日吉大社は今から約2100年前の崇神天皇7年(BC91)に創建。
平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開いてからは天台宗の護法神として今日に至る。
14:22
92,山王鳥居(合掌鳥居)
この鳥居は上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしており、仏教の胎蔵界・金剛界と神道の合一を表しているとされる。
14:32
93,白山宮
14:41
94,左から剱宮社、小白山社、八坂社、北野社
14:41
95,宇佐若宮
14:42
96,宇佐竈殿社
14:44
97,氣比社
14:44
98,西本宮楼門
14:47
99,西本宮
14:48
100,大宮竈殿社
14:58
101,宇佐宮本殿
15:00
102,救済(おたすけ)地蔵
15:13
103,忍耐(しんぼう)地蔵
15:15
104,恵毘須社
15:16
105,三宮遥拝所(左)、牛尾宮遥拝所(右)
中央にある石段から八王子山を30分ほど登ると、頂上付近に三宮と牛尾宮の本殿、拝殿があります。
今回は時間の都合上、遥拝所からの参拝となりました。
15:24
106,内御子社
15:28
107,二宮竈殿社
15:31
108,新物忌神社
15:32
109,大物忌神社
15:33
110,稲荷社
15:35
111,東本宮本殿
15:35
112,樹下若宮
15:38
113,須賀社
15:41
114,巌瀧社
15:42
115,氏神神社
15:44
116,氏永社
15:45
117,八柱社
15:47
118,求法寺走井元三大師堂
日吉大社表参道脇。延暦寺第4代天台座主安慧の里坊。後に良源(元三大師)が延暦寺に入寺する際にこの地で一旦休息し、修行の決意を固めたことから求法寺と称するようになった。
15:55
この後、生源寺そばにある「本家鶴㐂そば」で少々遅めの昼食に蕎麦をいただきます。
こちらは「本家鶴㐂そば」のサイト → http://www.tsurukisoba.com/
119,生源寺
伝教大師最澄は天平神護2年(766)8月18日にこの地で誕生。
その屋敷跡に建てられたのが生源寺。最澄の父百枝公と母藤子妃は子が授からず、八王子山に一週間の願を立て草庵に籠ると、ほどなくして最澄が生まれた。
16:23
最澄が産まれたときに産湯の水として使われた古井戸「産湯井」。
120,南善坊
南善坊は信長による比叡山焼き討ち以来途絶えていたが、光永覚道大阿闍梨(1990年に千日回峰行を満行)が再興した里坊。
里坊とは、比叡山の厳しい気候に堪えられなくなった老僧や、病弱の僧徒が隠居保養するための場所。
運が良ければ光永覚道大阿闍梨とお話をすることもできるそうですが、私が訪ねた時間はいらっしゃいませんでした。
16:47
南善坊から見た坂本と琵琶湖。
121,南善坊前の石段。
この石段を上ると本坂。
16:48
122,本坂
このように流水によりえぐられた場所もありました。
16:52
三井寺には「弁慶の引きづり鐘」がありますが、本当に弁慶はこのような急坂を一人で鐘を引きづって上ったのでしょうか?
123,花摘堂跡
伝教大師最澄の御母堂・妙徳(藤原藤子)夫人は、山上の大師の房を訪ねてこの峯に至ったが、当時比叡山は女人禁制(明治初期まで)だったため、これより進むことはできず、大師が山を下って母と謁した地。
後に智証大師は、ここに自らの母を祭る三宮を建てた。その後四月八日の釈尊降誕会に限って伝教・智証両大師の母君を偲んで、女性もこの地に花を供えることが許された。花はこの峯の花を摘んで供えたので、花摘堂と呼ばれた。
17:09
124,法然堂
浄土宗の宗祖である法然が皇円上人のもとで18歳まで3年間修業した功徳院跡地。法然はその後、黒谷青龍寺に叡空上人の門戸を叩き、黒谷青龍寺において25年間にわたり修行する。
17:43
125、星峰稲荷社
17:51
126,天台大師像
最澄の出現よりさらに遡ること200年。中国天台宗開祖である智顗(天台大師)の像。文殊楼横の丘の上。
17:55
127,大書院正門
昭和3年(1928)、昭和天皇のご大典記念と比叡山開創1150年記念事業として、東京赤坂山王台にあった村井吉兵衛の邸宅を移築した純日本式の建築物。設計は武田五一。
通常は非公開なので、中には入れません。
17:58
128,厄除不動尊
出発時に厄除不動尊を撮ったのがAM4:54。
所要時間13時間4分。
無事、日暮れ前に戻ることが出来ました。
17:59
この日の歩行距離は28km、歩数は47,379歩
11時台の歩行距離が少ないのは、元三大師堂での渡邊惠淳執事による不動明王への護摩行で祈願していたため。
こちらは、翌日延暦寺会館1階の喫茶「れいほう」にていただいた「梵字ラテ」。
自分の守護本尊を申告すると、その梵字を書いてくれます(干支と守護本尊の一覧表があるので、自分の守護本尊を知らなくても心配無用です)。
延暦寺のお坊さんによる発案、料金は700円。
私の干支は申なので守護本尊は大日如来。
各干支の守護本尊と梵字です。
カッコ内は下部写真内の位置と読み。
子 千手観音(右上 キリーク)
丑・寅 虚空蔵菩薩(左下 タラーク)
卯 文殊菩薩(中上 マン)
辰・巳 普賢菩薩(左中 アン)
午 勢至菩薩(中右 サク)
未・申 大日如来(左上 バン)
酉 不動明王(右下 カーン)
戌・亥 阿弥陀如来(中下 キリーク)
こちらは喫茶「れいほう」からの景色。
では最後に今回の記事の参考書籍です。
「伝教大師最澄の寺を歩く」 JTBパブリッシング 監修比叡山延暦寺