「エレファントマン」

昨日、バニラ・エア奄美空港での出来事のニュース記事を読み、なんとも 言えない違和感を覚えました。 そこで当事者のバリアフリー研究所代表について調べてみると、この男性は 15年前にも、ANAにおいて今回の件と全く同じことをしている疑惑が出て きました。(今のところ、まだ完全に確認が取れてはいないようですが。) もし15年前のANAでの一件と今回の男性が同一人物だとすると、この方は 違う意味で、とても可哀想な人なのかもしれません。 以前に「アドラー」というタイトルで記事を書きましたが、その動画のなかでは 子供の頃の育てられ方が、その子の人格を決める要因となるというような内容が ありました。 実際に心理カウンセリングでも、相談者の現在の問題の原因を子供の頃の 家庭環境などから探ろうとする試みは、よくおこなわれることです。 たしかに同じような境遇の人たちを集めて分析すると、なんらかの傾向が 見つかるかもしれませんが、それはあくまでも傾向であり決して絶対的なもの とは成りえません。 人間には自由意思というものがありますから、どれほど不合理で過酷な環境下で 生きてきたとしても、人間としての高潔さを失わなかった人たちの話は、過去の 例を探せば、いくらでも出てきます。 例えばジョゼフ・メリック。 彼は身体に極度の変形、膨張が起きるという原因不明の病気にかかり、映画 「エレファントマン」のモデルとなった人物です。 まずは、「エレファントマン その真実の記録」マイカル・ハウエル+ピーター・ フォード著/本戸淳子訳の表紙裏に書かれている、本の内容紹介です。 鼻と口の突起、著しく変形した額の奇観が象を思わせるところから「エレファント マン」と呼ばれた一青年の出生から死までを、医師と記者の二人が医学的にも 歴史的にも、完璧に追跡した。 彼、ジョーゼフ・メリックは1862年8月5日、イギリスの片田舎レスターに 生まれ、三人兄弟の長男。 出生時には、何の異常も認められていない。 母メアリーが初めて異常の兆候に気づいたのは、生後21ヶ月の頃、メリック自身の 記憶では、5歳位と記録されている。 次第に奇形がすすむが、それでも12歳までは公立学校に通う、猛烈に読書好きの 少年だった。 10歳で母と死別。 その後の、父の再婚。 葉巻工場への就職、解雇。 行商。 救貧院での生活。 興行師トム・ノーマンとの出会い。 ベルギー巡業。 ロンドン病院での死。 空前のブームを巻き起こした映画「エレファント・マン」では描ききれなかった 真実を、豊富な写真と資料で詳細に伝える、待望のドキュメント。 詳しくは、こちらをご覧下さい↓            「ジョゼフ・メリック」(wikipedia) では、彼の写真をご覧ください。

ジョゼフ・メリックは不自由な身体での救貧院生活、さらに救貧院を出て 自立して生きていくために、興行師と一緒に各地を巡り見世物小屋で 自らの身体を見世物にするという生活を何年も続けました。 しかし、そんな生活の中でも子供の頃から持っていた純粋な心は27歳で 亡くなるまで、決して失いませんでした。 最後に「エレファントマン その真実の記録」から、彼自身が書いた一篇の詩を 紹介して終わります。      私の身長が極地にまでとどき      手のひらで大海をつかめるとしても      私の大きさを測るものは 私の魂      心こそは 人の基準なり                        ジョゼフ・メリック
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                                白山オステオパシー院長