「 『 私は神の子だ 』 という啓示」
以前の記事の中で退行催眠により幼児期などに退行した際に、国や性別を
問わず、楽しい記憶よりも親との関係においての、悲しい記憶を思い出す方が
多いということを書きました。
恐らく現在の日本においても、家族関係で悩みを抱えている方は数多くいる
のではないでしょうか。
そういった方々のために、どの程度参考になるかは分かりませんが、今回は私の
蔵書の中から、加藤諦三氏の著書の一部を抜粋したいと思います。
まずはウィキペディアから、加藤諦三氏を紹介するページの最初の部分です。
加藤諦三(かとうたいぞう)
日本の社会学者、評論家、早稲田大学名誉教授、早稲田大学エクステンション
センター講師、日本精神衛生学会顧問、ハーヴァード大学 ライシャワー研究所
アソシエイト、ニッポン放送『テレフォン人生相談』パーソナリティー。
ウィキペディアにもあるように、加藤諦三氏はニッポン放送『テレフォン人生相談』
のパーソナリティーを永年にわたって務めていますので、聞いたことがある方も
多いのではないかと思います。
テレフォン人生相談の中で加藤氏は、どんな相談内容でも最終的には家族の問題に
帰着させてしまう傾向が非常に強いのですが、これは加藤氏自身が著書の中でも
書いているように、自らの生まれ育った家庭環境が大きく影響しているようです。
加藤氏には数十冊の心理系の著書がありますが、上記のような理由から家族の
問題を書いた内容が多くなっています。
今回は加藤氏の著書の一つ「こころの休ませ方」から、ある意味では究極的といえる
解決法を書いた部分を紹介いたします。
「私は神の子だ」という啓示がある
「孤独な決断」とは、不幸になる宿命を担った者の「それでもなお、幸せに生きる
ための決断」である。
おそらくその決断をする時に、「私は神の子だ」というような啓示があるに違いない。
それはほとんど人間には不可能と思われる決断だからである。
決断をする力のない者がする決断だからである。
現在の学問が証明するところからすれば、あるタイプの脳を持った者が、ある特徴を
持った家庭の中に生まれたら、絶対に幸せにはなれない。
具体的に言えば、抑制型の人、つまり左脳に比べて右脳が活発で、反応しやすい
扁桃核を持ち、副交感神経に比べて交感神経が活発な人が、ボールビーの言う
「親子の役割逆転」をした家庭で成長したら絶対に幸せにはなれない。
生まれてから死ぬまで間違いなくずーっと不幸である。
しかし、「それにもかかわらず」幸せになるという決断である。
マズローが、自己実現している人は「それにもかかわらず」という考え方をする
共通性があるという。
脳の研究が盛んなアメリカにおいても、なお無宗教者は13%であるという。
したがって、「それでもなお、幸せにになるための決断」はほとんど宗教的な体験
なのである。
だから、その時に「私は神の子だ」と感じても、それは狂気の出来事ではない。
まさに現実の世界の出来事なのである。
「母なるもの」を持った母親の元に生まれ、かつ非抑制型の脳を持った人には
想像もできない壮絶な決断である。
淋しい決断である。
孤独を越えた孤独な決断である。
いま幸せな人は、過去のどこかで幸せになる決断をしている。
肉体的に説明すれば、出血多量でも「なお死なないでいるような決断」である。
心理的に病んでいる人は、不幸な過去から抜け出すための「その決断」ができないで
いるのである。
以上、加藤諦三氏の著書から一部を抜粋しました。
恐らく加藤氏は人生のどこかの時点で、「 『それにもかかわらず』幸せになる 」
という決断を下したのでしょう。
最後は若干強めの書き方で終わっているため「そんなこと言われても・・・」と感じる
方もいるかとは思います。
また家庭環境も千差万別なため、この内容に当てはまる方ばかりではないことは
承知していますが、この文章がいくらかでも現在悩みを抱えている人達の参考と
なれば幸いです。