「神との友情」(4/5)
電話ボックスを出たわたしは、文字どおり飛びあがって歓声をあげましたよ。
たまたま、二人の人間が通りかかり、ひとりが言いました。「いいことがあったようだな」
「仕事が見つかったんだ!」わたしは叫びました。
二人は本気で喜んでくれました。
「どんな仕事だい?」ひとりがたずねました。
「週末のディスクジョッキーだよ!3時に面接なんだ」
「その格好でか?」
わたしは自分の格好を考えていなかった。
髪は伸びほうだいだが、そっちはまあ問題ないだろうと思いました。
アメリカのディスクジョッキーの半分はポニーテールですから。
だが、服のほうはどうにかしなければならなかった。
キャンプ場にはコインランドリーがありましたが、洗剤を買って洗濯して乾かしたものを身につけ、さらにメッドフォードまで往復するだけの金がなかったんです。
そのとき、自分がどれほど貧しいか、やっと気づきました。
町に出て面接を受けるという基本的なことすら、奇跡でもなければできないんです。
わたしがぶつかったのは、ホームレスのひとたちが自分で稼ぐふつうの生活に戻ろうとするときに立ちはだかる障壁でした。
二人はわたしを見て、何を考えているかを読みとったようでした。
「金、ないんだな?」ひとりが、ちょっとばかにしたように言いました。
「2ドルくらいかな」それでも過大評価かもしれない、と思いましたよ。
「わかった。来なよ」
わたしは二人について、テントが集まっているところへ行きました。
「彼には、ここから出るチャンスがありそうなんだよ」二人は友人に説明し、それから何かささやきましたが、わたしには聞こえませんでした。
それから、年かさのほうがわたしを見て言いました。
「あんた、何かまともな衣類をもってるか?」
「ああ、ザックの中にあるが、汚れてる。すぐに着られるものはないんだよ」
「それ、もってきな」
戻ってみると、見たことのある女性が加わっていました。
彼女は公園のあちこちに停めてあるトレーラーのひとつに住んでいたんです。
「それを洗って乾かしてくれば、アイロンをかけてあげるわよ」
彼女は言いました。
男たちのひとりが進み出て、じゃらじゃらとコインの入った茶色の紙袋を差し出しました。
「みんなで集めたんだ。コインランドリーに行ってきな」
5時間後、わたしは長髪に目を輝かせ、町中のアパートからやってきたような姿でラジオ局に現れたというわけです。
そして、職を得ました!
「1時間6ドル25セント、1日8時間です」と編集長は言いました。
「こんな仕事で悪いんだが、いま空きがあるのはそれだけでね。あなたにはたぶん役不足だろうから、断ってくれてもかまいませんよ」
週に100ドル!週に100ドル稼げるんです。
月に400ドルになる。
当時のわたしにとっては大金でした。
「いやいや、いまはそれくらいがちょうどいい」わたしは軽い調子で答えました。
「ラジオの仕事は好きなんですが、いま、ちょっとべつのことにかかってましてね。腕を錆びつかせない程度の仕事がしたいんです。楽しみですよ」
嘘ではありませんでした。
楽しみだったんですから。
生き延びられる楽しさです。
それから2か月、テント暮らしを続けて金を貯め、63年型のナッシュ・ランブラーを買いました。
百万長者になった気分でしたね。
キャンプ場で車をもっているのはわたしだけだったから、気前よく貸しましたよ。
みんなから受けた恩は決して忘れませんでした。
11月、だんだん寒くなってきたので、週に75ドル払って、公園にある小さなワンルームのキャビンに移りました。
友だちを外に置き去りにするのは心苦しかった。
それだけの金をもっている者はほかに誰もいなかったですから。
それで、とくに寒い日や雨の日には、一人、二人を招いて泊めました。
順番にして、悪天候からのがれるチャンスがみんなにまわるようにしました。
いつまでもパートタイムで終わるのかと思いかけたころ、突然べつのラジオ局から午後の番組をやらないかと申し出を受けました。
ウィークエンドの番組を聞いて気に入ってくれたんです。
だが、メッドフォードのラジオの市場はそう大きくはありませんから、最初の給与は900ドルでした。
それでもまたフルタイムで働き、キャンプ場から出られます。
キャンプ場暮らしは9か月でした。
あのときのことは決して忘れませんよ。
つづく。