オステオパシー
当院では入口を入った右側に、私が学んだジャパン・カレッジ・オブ・オステ オパシー(JCO)の卒業証書と、MRO(J)の登録証が掛けてあります。 MRO(J)は、Member of Registered Osteopaths (Japan)の略で、「全日本オステ オパシー協会」「日本オステオパシー…
私は、ジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシー(JCO)に在学中、今後 オステオパスを名乗るならば、オステオパシーの創始者A・T・スティルの 著書を読んでおくべきだと考えました。 当時は彼の著書を翻訳した日本語版が無かったため、自身の拙い英語…
アメリカンヘルスフロントというテレビ番組の中で、ケネス•ロッシングDO (ドクター オブ オステオパシー)が、オステオパシー医療の有効性に ついて述べています。 この番組は、2014年5月18日にニューヨーク市内にあるCBS局で 放映されました…
では、各務文献の「整骨新書」と、二宮彦可の「正骨範」の中身紹介の続編です。 2冊の本を現代風に分類するならば、「整骨新書」は主に整骨院、接骨院で行う 内容、「正骨範」は主にオステオパスがおこなっている内容、と考えてもよいと 思います。 整骨院…
「整骨新書」-頭骨前面 「整骨新書」-中断頭骨 「整骨新書」-頸椎 すっかり間が空いてしまいましたが、各務文献の「整骨新書」と二宮彦可の 「正骨範」の中身を紹介していきたいと思います。 まず「整骨新書」ですが、その前半部分は整骨術の本というより…
では、前回からのつづきです。 産科医から整骨医への転身を決めた各務文献は、整骨術を難波村の年梅某に 教わろうとしましたが、整骨術は秘伝であるとして、それを断られてしまいます。 そこで文献は、驚きの行動に出ます。 文献の住居は島之内の住屋町にあ…
「オステオパシーの源流は日本?」のシリーズは結局、A・T・スティルは 二宮彦可の生まれ変わりである、という結論で幕を閉じましたが、(いいのか それで!?)、実は第1回目ではスティルが参考にした人物の可能性として 二宮彦可の他に、各務文献(かが…
では前回、この人はA・T・スティルの前世ではないかと書いた、江戸時代の 整骨医である、二宮彦可(にのみや げんか)の来歴についてです。 二宮彦可は宝暦四年(1754年)に遠州浜松在叟楽村(現在の静岡県浜松市)に 岡崎藩(現在の愛知県東部)の瘍…
かなり間が空いてしまいましたが、「オステオパシーの源流は日本?」シリーズの 続きを書きたいと思います。 今回は、私が勝手にスティルは何らかの形でこの本を入手して、参考にしたのでは ないかと考えている、1807年(文化4年)出版の「正骨範」の著…
日本ではオステオパシーよりもはるかにメジャーになっている手技療法の 一つ、カイロプラクティックには上部頸椎カイロプラクティックという 考え方があります。 これはカイロプラクティックの創始者D.D.パーマーの息子B.J.パーマー によって考案された…